二月二十日月曜日(1章終了)

■激闘! VSピエロ


 朝、通学路。
 初羽と絢、小春、メイの四人は学園への道を歩いていた。
 朝ご飯を四人で食べて、四人で学園に向かう。
 今日は小春とメイの編入日。
 つまり二人にとって初めての学園登校だ。
 二人のために初羽もいつもより早めに起き、いつもより少し豪華な朝ご飯をみんなで食べ、四人一緒に登校していた。
「はぁ……眠」
「絢、しっかりしてください。危ないですよ」
 その中で一人だけ、絢だけは眠そうにしていた。
 ここ最近は小春の事やらメイの事やらでまともな時間に起きていた絢だが、普段の絢は朝にかなり弱い。小春に出会う以前の絢を見ていれば何の不思議もない。
 だけど小春もメイもそういう普段の絢を知らないため少し意外に思っていた。
「………」
 …小春だけ、思っていた。
 メイはどうも興味ないらしく初羽の隣を歩いている。
「今日は小春とメイの編入日なんですからしっかりしてください」
「いやむり。眠気には勝てない…」
「こ、小春は気にしていませんから」
 初羽は小春に申し訳なさそうにしていたが、小春自身は特に気にしているわけでもない。
 むしろ、初羽の好意に感謝をしているぐらいだった。
「どうして絢は朝弱いんだろうね?」
「私からすれば朝が強い人の方が異常よ」
 絢は心の底から、本気でそう思っていた。
「…絢の弱点発見」
「む」
「あ、メイ。それは絢の弱点にならないですよ。絢は起きなければいけない時は起きれる体質ですから」
 そう。絢は朝弱いと言っている割に、用事などで絶対に起きなければいけない時に寝過ごしたりはしない。
 それなのに、普段は起きられないというのは絢が起きたくないと思っているからに違いないからだと考えている。
 とはいえ、めんどくさがりの絢が自ら生活習慣を改める気は毛頭ないということも付き合いから知っているので初羽も特に厳しく言ったりしたこともない。
「…残念」
 そう言うわりにはあまり残念には見えないメイであった。
「き、きっと昨日の疲れがまだ残っているんですよ」
「…それはない」
「ですね。絢がお寝坊なだけです」
 小春のフォローも二人に一蹴される。
「疲れと言えば凄いわよね。昨日あんだけ疲れるほど特訓したってのに疲れ一つ残ってないんだもの」
 昨日、初羽たちは百に付き合わされてほぼ一日中訓練していた。
 しかしその疲れは微塵も残っていない。
 普通なら筋肉痛で悩まされそうなものである。
「百さんの薬って凄いですね」
「あ、あはは…」
 小春の言葉に初羽が苦笑いする。
 確かに今日疲れが残っていないのは、訓練後に百に飲まされた怪しい薬が効いているからなんだろう。
 百は薬学の知識を持っていて独自にいろんな薬を製作しているらしい。(以前に初羽が百に「それって危なくないですか?」と訊いてみたとき「大丈夫! ばれなきゃ合法だから!」と言っていた。その場に居合わせていた椎は「百の場合、規定されてないものを使ってるから見つかっても取り締まれないけど」と呟いていたが…)
 初羽の発作を抑える薬もそうだが、その他にも色々と製作しているらしい。
 その内の一つ、百が独自にブレンドした『疲れ百パーぶっ飛びやがれ!』という薬を飲まされたのだ。(正直薬を飲んだ後この名称を聴いた時は絢とメイが心底後悔した顔をしていた)
 意外な(そうでもない?)事に薬の効力は抜群で翌朝起きた時には本当に疲れが全部取れていた。
「…あの人はいったい何になりたいんでしょうか……」
 メイがわりと本気で悩んでいた。
「あー、考えても仕方ないと思いますよ。百ですし」
「その一言で片づけられる百さんって…」
「…納得」
「納得してしまいました!?」
 こうして初めての四人での登校時間は過ぎていったのだった。


 朝のHR。
 初羽たちの教室では二人の編入生を迎えていた。
「い、伊吹小春です! よろしくお願いします!」
「…皐月メイ。よろしく」
 編入生らしく、緊張した面持ちの小春。
 編入生らしくない淡々とした態度のメイ。
 なぜか二人とも初羽と絢と同じクラスになったらしい。
「えー、みんな仲良くするように。えー、二人の席は最後尾に用意してあります。えー、朝のホームルーム終了します」
「起立、礼」
 日直の生徒が号令をかける。
 先生が言っていた二つの席は窓際の二列の最後尾に一席ずつ追加されていた。
 詳しく言えば今まで窓際の最後尾だった初羽の席の後ろに一つ、窓際から二列目の最後尾だった席の後ろに一つ、二列だけ最後尾がズレている形になっている。
 メイは窓際の最後尾をさっさと選んでいた。必然的に小春は窓際から二列目の最後尾ということになる。
「よ、よろしくお願いします」
 小春が前の席の女生徒に話しかける。
「…よろしく」
 が、その女生徒の態度は実に素っ気ないものだった。
 まるでメイのようだ。
「気にしないで下さい。深月(みつき)はいつもそんな感じですから」
 初羽が小春をフォローする。
 深月と呼ばれた女生徒は意に介した様子もなく次の授業の用意をしている。
「あれ? 初羽さんって伊吹さんと知り合いなの?」
 近くに寄って来た他の女生徒が話しかけてくる。
「はい。同じ寮の隣同士です」
「へー、それで知ってるんだ」
「皐月さんはどこに住んでいるの?」
「部活動とかってやってたの? 運動部? 文化部?」
「なんでこんな時期に転校なんてしてきたの?」
 小春とメイに転校生の恒例行事とも言える質問攻めが繰り広げられる。
「え、えっと…」 
「………」
 小春は質問の一つ一つに緊張しつつ答え、メイは質問の全てを沈黙で一蹴していた。
 とはいえ、二人ともクラスの皆に比較的好意的に受け止められていた。
 間もなく次の授業が始まり、みんな自分の席に戻って行った。


~Interlude 香坂初羽~
 数学の授業が始まってから数十分がたちました。
 こっそり後ろを見てみると小春は真面目にノートを取っています。
 小春は記憶喪失なので授業についてこられるかどうか心配だったのですがその必要はなさそうです。
「ううーん…」
 …いえ、あれは必死にノートを取っているだけでどうも内容は理解していないようですね。近い内に教えてあげた方がいいかもしれません。
 メイは先生の話こそ聴いているようですがノートは全く取っていないように見えます。
 内容を理解しているのか学業をどうでもいいと思っているのかどっちなんでしょう?
 絢は…寝てますね。成績落ちても知りませんよ。
 そして私はノートを取りつつも内心では全く別のことを考えていました。
 ピエロのこともですが、それより私が考えていたのは金曜日に昇降口で出会った男女二人のことでした。
 あの後、絢は二人の素性を調べるよう電話をかけていましたが、その情報がどこからか百の耳に入ったみたいで昨日、百から調査内容をみんなで聴きました。
 男性の方の名前は神社速人、女性の方の名前は大応遥。
 そして神社永、神社速人の一つ年下の妹で大応遥の親友。
 その彼女が十二月十四日突然行方不明になったらしい。
 十二月十四日と言えば私と絢が廃ビルで異様な気配を感じ、駆けつけた日でもある。
 おそらく…そういうことなんでしょう。
 絢が事件の後に廃ビルで遥さんと出会ったことやこの前のことを踏まえて考えると事件の容貌も見えてきます。
 私が速人先輩と遥さんに会った時に考察した事は間違っていないでしょう。
 速人先輩と遥さんは廃ビルで襲われた永さんの復讐のために化物を追っている。
 この辺は百の情報による裏付けも取れています。
 それらを考えると私たちは廃ビル事件からは手を引いた方がいいかもしれません。
 もちろん襲われればそれ相応の対応はしますが、そうでなければ二人に任せてしまった方がお互いのためですし。
 事の顛末は逐一、百から教えてもらえればいいでしょう。(本当は直接本人たちに訊きたいですけど絢は遥さんのことをとことん嫌っているみたいですから…)
 いちおうメイは廃ビル事件を解決するという役目でこの街に来たと言っていますが、おそらく実際の目的とは違うはず。
 メイが話した魔導書の話やピエロに対する反応を見る限り、メイの本当の目的はピエロに関してでしょう。
 そう考えると、メイは廃ビル事件に関わるつもりはないでしょう。
 二人とも今はピエロの方に専念しているでしょうから今はそれでいいと思う。
 実際、ピエロの方もなんとかしないといけないのは事実ですから。
 今のところ特に目立った動きはないようですけど今度魔導書に行った時にはまた否応なく対峙することになるはずです。
(いえ、対峙することは確定ですね)
 ピエロの性格からして自身が戦う可能性は低いですが、今の私たちではピエロと戦わなくて済むのは普通に考えれば助かります。
 そう、普通に考えれば、です。
(だけど…)
 きーんこーん…。
 あ、そうこう考えているうちに授業が終わってしまいました。
「起立、礼」
(昼にでもみんなに話をしたほうがいいですね)
 そう、
 打倒ピエロのための対策を。
~End Interlude~

 四限目が終わった昼休み。
 小春とメイはクラスの皆に囲まれていた。
 お昼を一緒に食べようという誘いである。
 編入生である二人をクラスに馴染ませるためのクラスのみんなの気遣いだろう。
(無理に誘うのも悪いですね…)
 この昼休みにピエロ対策を話し合おうと思っていた初羽だったが、小春とメイがクラスに馴染むために無理に連れ出すのは躊躇われた。
 ピエロ対策も重要だが、普通の日常を過ごすのも重要だと初羽は考えていた。
 昔、病弱で学校に通うことさえ出来なかったからこそ普通の日常というものを初羽はとても大切にしている。
「ねえねえ、初羽さんも一緒にどう?」
「…ふぇ?」
 考えごとをしていたせいで思わず変な声が出てしまった。
 離れたところで絢が笑っているのが見える。
(うう…)
 考えごとをしていたとはいえ、とっさに出した声につい恥ずかしくなってしまう。
 もっとも、小柄で子どもっぽい初羽の見た目からしたら特におかしいと感じる人もおらず、クラスメイトからしたら微笑ましい、可愛いという感じだったりする。
「初羽さんも一緒にお昼食べない?」
 一人の子が初羽のために説明し直す。
 それで初羽も自分が小春やメイと一緒に誘われているのだと分かった。
「誘いは嬉しいですけどちょっと用事があるので…」
「あ、そうなんだ。残念」
 もちろん用事というのは学校に関係することではない。
 だけどそのことをわざわざ説明する必要もない。
「また誘ってください」
 初羽は申し訳ないと思いながらもその場から離れた。
 そしてそのまま絢の方に向かう。
「それじゃあ行きましょう」
「はいはい」
 初羽の後ろについて行き、絢と二人教室を出る。
 行き先は人目のつかない場所である。

「さむ!」
 人目のつかない場所、ということで屋上に来た初羽と絢。
 今は二月なので当然寒い。
 絢が手元から赤いビー玉を取り出しそれを横に振るう。
 赤いビー玉から小さな火が零れ落ち、床に着いた途端、屋上に燃え広がり、消えた。
 すると今まで寒さが厳しかった屋上が、ほどよい暖かさに包まれていた。
「それにしても便利ですよね。絢のその魔法って」
「や、魔法じゃなくて魔術なんだけど…まあ初は使えないしね」
 絢の言うとおり、今使ったのは正確には魔法ではなく魔術である。
 とはいえ魔術師や魔法使い以外はそんな区別など分かるはずもない。
 絢が今使った魔法は、簡単に言えば周囲を暖める魔術である。
 理論は知らないが冬にはとても便利な魔法だ。
 しかも環境に優しく省エネ設計である。(特に意味はない)
 少し色褪せたビー玉をしまい、絢がビニールシートを広げる。
 初羽も絢も靴を脱いでビニールシートに座る。
「じゃあお弁当を―」
「わあ!? あったかいです!?」
「え?」
 初羽が弁当を広げようとした手を止め、入り口の方を見ると小春とメイがそこに居た。
 おそらく初羽と絢の後をついて来たのだろう。
「どうしたんですか?」
「いえ、メイさんになにか連れてこられたんですけど…」
「………」
 小春の言葉を聴いているのか(おそらく聴いていないだろう)メイは辺りを見回していた。
「…あったかい」
 どうも屋上が暖かいことを疑問に思っているようだ。
 が、視線が絢に移ったかと思うとなにやら頷き納得したようだった。
 おそらく絢が魔法を使ったことを悟ったのだろう。
「それでメイ、話の続きなんだけど…」
「…?」
「いえ、そこで疑問符を浮かべられても…」
「…初がなにか私たちに話したいことがあると思ったから」
 たしかに初羽がメイと小春に話したいことがあったのは事実だ。
 だけどメイがそれを汲み取っていたのは意外だった。
 メイは関心のあること以外には気を向けないように見えていたが実はそうでないのかもしれない。
「えっと、なにかお話があるんですか?」
「あ、はい。そうです。実は…」
「初、お弁当まだー?」
「ご、ごめんなさい! 今すぐ用意しますね」
 ひとまず話は横に置いて弁当の用意をする。
 小春とメイも靴を脱いでビニールシートに座った。
 初羽が弁当の包みをほどく。
 中から出てきたのは重箱である。
「少し気合いを入れて作ってみました」
「気合い入れすぎです!?」
「そうですか?」
 包みの中がまさか重箱と思っていなかった小春は驚きを隠せなかったが、重箱といっても小さいやつだし四人分ならちょうどいい大きさだと初羽は思っていた。
 初羽が重箱を一段ずつ並べる。
 三段目は焼き魚と焼き肉。二段目は卵焼きとウインナー。一段目はいろいろな味のおにぎりが詰まっていた。
 さすがに重箱といってもおせち料理が入っているわけではなく中身はいつもの弁当のおかずだった。
 まあそれが重箱で出てきたということには驚きなのだが。
「クロー! ご飯だよー!」
 初羽が声をあげる。
 すると屋上のフェンスを飛び越えてクロが初羽の隣にやってきた。
「って、今どこからきました!?」
 小春の指摘はもっともである。
 屋上のフェンスというのは屋上を囲うように立っているため、外から入ってこられるわけがない。そもそもここは屋上で登ってくることすら不可能のはずだ。
「まあクロは普通の猫じゃないですから」
「細かいこといちいち気にしたって無駄よ」
「は、はい…」
 もしかして気にしすぎなんだろうか、と内心思ったりした小春であった。
 クロを全く気にしない他の三人の意識はすでにお弁当に向いている。
「…♪」
「いっただきまーすっ」
 弁当(という名の重箱)のおかずを食べ始めるメイと絢。
 絢は焼き肉、メイはタコさんウインナーを取っていた。
 クロは焼き魚(正確には焼きサンマ)を食べていた。
「小春さんもどうぞ」
「い、いただきます…」
 小春と初羽も食べ始める。

「ところで話ってなんですか?」
 ご飯を食べ終え、一息ついたところで小春が質問する。
「ま、今話しあうことなんて限られてると思うけど」
「…ピエロ」
「はい、そうです」
 絢とメイの言葉に初羽が頷く。
「ピエロさんですか…」
 小春が俯く。
 小春と絢はこの前の戦いでピエロとは戦っていないがその強さは実感していた。いや、正確には初羽とメイもピエロ自身とは戦っていない。
 だが使役獣ですらあれだけ苦戦したのだ。
 もしあの馬の化物もどきがそれこそ十体でかかられでもしたら勝ち目はない。
「私の意見としては今はまだピエロとは戦いたくないわね。正直力量差がありすぎる」
「こ、小春もそう思います!」
「絢たちはピエロと戦うのは反対ですか」
「反対というか当然じゃない? この前はなんかあいつ的には遊び半分だったみたいだから見逃してもらえたような感じだけどそれですら苦戦したのよ? そんな私たちの状態であいつと戦ったって勝ち目なんかとてもあるわけない」
「小春には詳しいことは分からないですけど、その、百さんに手伝ってもらったりはできないのですか?」
「…無理」
「百は自分では魔法が使えないから戦力にならないって言っていますねえ…」
 魔法が使えなくてもあの身体能力なら十分過ぎるほど強いとは思うのだが、百は基本的に、というかほとんど戦ってくれることはない。
 百曰く「私が戦うと軽く街の一つ吹っ飛ぶ」とのことだった。…真偽は不明だがあの人間離れした動きを見ると冗談と一蹴できないのが怖い。
 ちなみに椎に一緒に戦ってくれないかと持ちかけた時には差し出された小切手の金額が兆を超えていた。明らかに戦う気はないという意志表示だった。
 というわけであの二人の力は借りられないのが実情であった。
「メイはどう思いますか」
 初羽がメイに訊く。
 この中では初羽と同じく使役獣と戦った一人だ。
 それにメイはピエロと因縁があるようでもある。
 そのメイから見てどう思うのか。
「…私、は」
 メイが考えるように目をつぶって、そして決めたかのように目を開く。
「…私は今戦うべきだと思う」
「「ええ!?」」
 まさかの発言に絢と小春が驚く。
 だけどメイは意に介さないかのように続ける。
「…この前のピエロは力が本調子でないように見えた」
「本調子じゃない? その根拠は?」
「…勘。それにあの魔力体はピエロの魔力で作ったものじゃなかった。たぶん魔導書の魔力を利用したもの」
 魔力体というのは馬の化物である使役獣を言っているのだろう。
「そんなこと分かるの?」
「…(こく)」
 メイは頷く。
 だが絢は魔力の差異というものをいまいち理解出来ないでいた。
 とはいえ絢自身その理由にも見当がついていた。絢は魔術を使うのに魔力の質に拘らない。自分の魔力でなくても、初羽の魔力でも魔導書の魔力でも、どの魔力でも自分のものとして扱える。もっともそれは悪いことではなく、自分の魔力が枯渇しても戦えるという点もある。逆に初羽などは自分の体質に合った魔力、要は自分の魔力しか使えず魔力を選ぶ性質である。
 それを考えると絢には分からなくてもメイは魔力の差異を感じ取ったのかもしれない。
「でもだからってピエロの力が本調子じゃない理由にはならないでしょ。使役獣に自分の魔力以外を使う人って結構いるらしいじゃない。特に大きな個体だったら自分の魔力じゃ足りなくなるから」
「そうなんですか?」
 絢の説明に小春が疑問を抱く。
「熱力学第二法則と似たようなものですね。大きな個体を創り保つエネルギーを得るにはそれ以上のエネルギー、ここでは魔力が必要なんです」
 それっぽく初羽が説明したが実はそうとも限らない。
 世の中にはピエロが創った馬の使役獣よりも大きなものを自分の魔力で創りだす人もいる。
 例えば椎ならピエロの馬の使役獣よりも強大な使役獣を複数創ることも可能かもしれない。
 だが普通の魔法使いクラスでその技量を持つものは少なく、9割方が他の魔力を使うのが当り前である。
「ま、その話は置いといて、要はピエロが使役獣を使っていたからといって奴自身が本調子でない理由にはならないんじゃないってこと」
「いえ、私もメイに同意です」
「初?!」
 まさか初羽から反論が来るとは思っていなかったのか、絢が狼狽した様子を見せる。
 しかし初羽は確信があった。
「私は前にピエロと相対したことがあるから分かりますけど、今のピエロの魔力はかなり少ないんです。本調子の十分の一といったところでしょうか」
「そ、そんなに少ないんですか?!」
 小春が初羽に訊ねる。
 確かに十分の一の力しかないと聴いても到底信じられないことである。
「でもピエロが自分の魔力を隠しているって可能性はないの?」
 絢が可能性の一つをして初羽に訊ねる。
 が、初羽はその可能性を否定した。
「それはないです。私は以前にピエロの魔力をみたことがありますけど、間違いなくあの時よりも魔力量が少ないです。クロを通じて見たことですから間違いありません」
 初羽が床で寝ているクロを撫でる。
 クロとのコンファインはただ身体能力を上げるだけではない。
 その一つに、相手の魔力が手に取るように分かるという能力がある。
 正確にはコンファインしたクロの魔力総量と相手の魔力総量を比較して大体の値が分かる。そのため正確な数字として分かるわけではない。
 しかし相手の魔力総量がおおまかにでも分かるというのは希有な能力と言える。
「ですから使役獣を使ったんでしょう。使役獣でしたらピエロ本人の魔力を使う必要がないですから」
「じゃあひょっとして小春たち勝てる可能性もあるんですか?」
 小春の言うとおり、ピエロの魔力が本調子の十分の一程度しかないというのはきこえによってはチャンスだろう。
「でもピエロが他に使役獣を創ってある可能性もあるわよ」
 絢がもっともな事を言う。
 ピエロの魔力がいくら少なくなっているといっても使役獣を扱うのには関係ない。
「そこんとこどうなの」
「…そんな心配しなくていいと思う」
「どうして?」
「………」
「???」
「…初、パス」
「え、え? えーっと、この前のような巨大なサイズで自己修復できるような使役獣は創るのが難しいし魔力の消費も膨大なはずです。たぶん魔導書の一エリアのほぼ全魔力を使って創ったはずです。そう考えるとこの前みたいな規格外れな使役獣はいないはずで、いたとしてもせいぜい大型犬レベルの使役獣ぐらいじゃないかと思います」
 もちろん創れないわけではない。
 が、もし再び同じ使役獣を創られていたとしても前回の経験を踏まえて今度は倒すのも容易だろう。
 一度倒されたものを再び創ったところでまた倒されるのは明らかである。
「じゃあもう一点、ピエロの魔力が本調子でないのは分かったけど今の私の魔力と今のピエロの魔力を比較するならどれくらい?」
 いくらピエロの魔力が本調子の十分の一といってもそれだけで勝てると考えるのは早計だ。
 ピエロが本調子でないといっても、それでも絢より魔力を持っている可能性は十分にある。
「今の絢の魔力と比較するなら約二分の一、メイの魔力と比較するなら約四分の一といったところです」
「私の魔力ってメイの半分なんだ…」
「絢は自分の魔力だけで戦うわけではないですから実際はメイと変わらないと思いますよ」
 絢はたしかに本人の魔力総量こそ少ないが、他の魔力を利用できるという技術を持っている。
 そういう人にはクロの能力を使った魔力比較はたいした意味をなさない。
「ちなみに百と椎の魔力はどのくらいなの?」
「それが…あの二人はクロを通じても一般人の魔力並しか見られないんです。ただ本当に一般人並の魔力しか持っていないとは考えられないですし自分の魔力を隠しているんだと思います。逆に言えばクロを通じた私でも見破らせないほど巧妙に魔力を隠しているということです」
「じゃあ初の想像だとあの二人はどれくらいの魔力を持っていると思う?」
「私の勝手な憶測でよければおそらく百も椎も本調子のピエロの倍、いえ数十倍の魔力はあるんじゃないでしょうか」
「なにそれ…もはやチートじゃん」
「私や絢を含めた四人を一人で魔法なしで相手にできるくらいですからあり得ない話ではないと思います」
「な、なんか話を聴けば聴くほど百さんと椎さんが凄いって思います」
 小春が言うまでもなく百が凄いのは昨日死ぬ思いをしたみんなが知っている。言動が言動なだけにとても強そうは見えないのだが…。
「でも初の話を聴けば確かに今ピエロと戦っても勝算はあるけど今すぐじゃなくてもいいんじゃない? 私たちも特訓してもっと強くなってからの方が…」
「…反対」
「私もメイに同意です。時間を与えれば与えるほどピエロは使役獣を増やし続けることができるし、自分の魔力を取り戻すこともできる。そうなったら私たちが強くなる前にピエロとの実力の差が広がってしまいます。そうなったら勝ち目はありません」
 確かに今のままでは勝ち目は薄いがピエロが調子を取り戻したら勝ち目はさらになくなる。
 戦うなら勝機を見いだせる今しかない。
「わかった。初がそこまで言うんならもう何も言わない」
 不安はまだ拭えないが、絢は初羽を信じることにした。
「ありがとうございます」
「そ、それでいつ戦うんですか?」
「今日の放課後にしたいと思います」
「はう!?」
 確かに話では戦うなら早い方がいいという感じだったが、まさか今日の放課後に戦うとは小春は思っていなかった。
「ま、いいんじゃない」
「…(こく)」
 だけど絢もメイも特に異論はなかった。
 事実、今日戦えないという理由があるわけではない。
 学業があったとしてもそれがピエロと戦わない理由にはならない。
 まあ学園という日常の後に戦いという非日常に身を投じるというのはいささか違和感を感じるのは無理もないが。
「それで具体的な作戦ですが…」
 きーんこーん…。
 初羽が話を進めようとした矢先に予鈴がなる。
「あ、チャイム…」
「続きは放課後ですね」
 結局この昼放課では具体的な作戦は全く決まらなかった。
 だけど戦うという心構えのためには十分有意義で全くの無駄になったわけではない。
 少なくとも今から数時間後にはピエロとの戦いが待っていると心構えができる。
 …勉強が身に入らなくなる可能性はあるが。
 といっても絢も初羽も普段の成績は良いので問題ないかもしれない。
 むしろ絢は授業中寝てる場合が多いがどうしてあそこまで成績がいいのか分からない。(試験の際にはまず上位一割には喰い込んでいる)
 小春とメイは分からないがおそらくメイも大丈夫だろう。問題は小春だが…まあ成績が悪かったとしても赤点さえ回避できればいいだろう。
 とりあえずこの場は解散し、四人は教室に戻ることにした。


 午後の授業。
 絢は机に伏せていた。
 いつもと同じ風景だが、今の絢は寝ているわけではなかった。
 ただ、自分なりにいろいろ考える時間が欲しかった。
 そのため寝ている振りをしているのだった。
 考えているのはもちろんこの後のピエロとの戦いのこと。
 正直に言えば絢はまだピエロと戦うことに納得はしていなかった。
 初羽の言葉を聴けば、戦うのは今しかないことは絢にも分かる。
 だが、今度の戦いは命に関わるものなのだ。
 今まで魔導書の中で戦ったこともあるが、それはあくまでも使役獣のような魔力体が相手である。
 言い換えればそこに人間的な感情はない。だから敵を倒すという感覚で罪悪感もないし殺し合いをしているという感覚も薄い。
 しかし、今度の相手は明確な意志を持っており相手の考えていることも分かる。
 そしてその行動が動物のような本能的なものでなく理性的なものであることも分かる。
 人は同じ理性を持つ相手と戦う時、そこに少なからず戸惑いが生まれる。
 それは恐怖であったり情けであったり色々である。
 絢の場合、それは恐怖という感情が占めていた。
 実は絢は人と命がけの戦いということをしたことがない。
 絢は魔術師ではあるものの街に土着している魔術師であり、メイのように世界中を回っている魔術師ではない。
 そして水那市では、少なくとも絢が知っている限りでは今まで特に魔法が絡む事件が起こったことはない。
 つまり絢が戦ったことがあるのは魔導書内のモンスターだけ。
 せいぜい特訓と称して初羽と手合わせをしたことがあるくらいだ。
 そんな自分が実際にピエロとの戦いになった時、いつものように戦えるかどうか心配がある。
 もしかしたら攻撃を躊躇ってしまうのではないか、初羽の足を引っ張ってしまうのではないかと心配になってしまう。(メイはどうでもいい)
 今まで“敗北”を経験していない絢は失敗することを極度に恐れる。
 それは人として当然の感情だ。
 特にプライドが高く人よりも能力の高い魔術師や魔法使いといった手合いはその傾向が強い。
 しかし、今はピエロと戦うしか選択肢はないのだ。
 絢に出来る心構えといえばそうやって自分を追い詰めて戦う勇気を奮い起すことだけであった。
 そして小春は板書を写していた。
 小春は自分のことをただの一般人だと思っており、今回のピエロとの戦いの際には寮で待機なんだろうと考えていた。
 そのためか、小春は特にプレッシャーを感じることはなかった。
 だけどやっぱりみんなに対して不安はあった。
 自分に力があれば手助けができるのに、自分にはその力がない。
 友達が自分の手が届かないところで危険な目に遭うのを見ているだけしかできないのはとても歯痒い。
 歯痒いが、力のない小春にはやはりみんなの無事を祈るほかないのだ。
 …まあその予想はこの後すぐに覆されることになるのだが。
 そしてメイは…ノートを開きシャーペンを持ったまま微動だにしていなかった。
 もちろんと言ってはなんだがノートは真っ白である。
 メイが何を考えているのかは読みとれない。
 だが絢のように緊張しているわけではなく、小春のように不安を感じているわけではないようである。
 しかしピエロに対するメイの態度を考えれば何の感情も持っていないというわけではないだろう。
 おそらく、というよりほぼ確実にメイのピエロに対する感情は憎しみだ。
 つまりピエロとの戦いはメイにとって因縁の戦いということになるだろう。
 過去に何があったかは知らないが四人の中で一番気が急いているのはメイかもしれない。
 …いや、無表情でいるところをみるとそうでもないのかもしれないが。
 とはいえ余計な力が入ってるようでもなく、絢や小春と比べれば普段通りの平静を保っているようである。
 そして初羽。
 小春と同じくまじめに勉強している風ではある。
 だがノートに書かれているのは授業内容とは全く関係ないことだった。
 初羽がノートに書いていたのはピエロと戦うための作戦であった。
 ノートには文字やら矢印やらが描かれているがほぼ落書きの様子を呈していて他の人はもちろん、初羽本人ですら何が書かれているのか分からない。
 初羽がノートに書いているのは頭の中のイメージを整理するためで、ノートを見ながら作戦を考えているわけではない。
 証拠に初羽の目線は手元のノートには向けられていない。
 もちろんイメージと言ってもその通りに戦いが展開されるとは初羽も考えていない。
 しかし何も考えずに戦うよりはプラスになるだろうと初羽は考えている。
 あらゆるイメージを想像し試行していく。
 今度は大切な人を失わないために。
 大切な人を護るために。
 そのために少しでも勝ち目を上げるために初羽は思考し続けていた。


 放課後。
 初羽と絢とメイ、そして小春の四人は絢の別荘のリビングに来ていた。
「じゃあ作戦会議を始めますね」
 初羽が話し出す。
「といっても特に細かい作戦はないです」
「どういうこと」
「実は昨日、百から預かったものがあるんです」
 そういって初羽が鞄の中からあるモノを取り出す。
「銃…?」
 小春がいったとおり、それは銃であった。
 といっても映画などでみかける銃とは違い、口径がかなり大きく色も青や黄色のカラフルなものでどちらかというとおもちゃ屋さんで売っているものに近い。
「おもちゃ?」
「い、いえ。ちゃんとした銃…の、はずですよ?」
「…自信なさげ」
「どこでこんなの拾ってきたのよ」
「拾ったわけではなくて百から渡されたんです。対ピエロ用の切り札とか言って」
 実は昨日、百は初羽にこのおもちゃのような銃を渡していた。
 そしてそれが昨日、百が急に初羽を訪ねてきた一番の理由だった。…建前は。
「対ピエロとの切り札? 胡散臭いわね…。そのおもちゃ、なんか特殊な効果とかあるの?」
「百が言うには重要なのは銃ではなくて弾の方で、当たった相手の魔力バイパスを狂わせると言っていました」
「えと、つまりどういうことなんですか?」
「つまりですね、相手の魔法を使えなくするのと似た効果があるということです」
「…凄い」
 正確には全く魔法が使えなくなるわけではないが、ここではその説明を割愛する。
 というのは百が作った弾にはその欠点を埋めるもう一つの効果がある。
 それは相手の魔力を時間とともに少しずつ拡散させるというものだ。
 魔法を使うための回路を破壊し、その壊された回路の穴から魔力が漏れ出すというものである。
 魔力の概念は人によって違うが、分かりやすく説明するならこうなる。
 いずれにしろ当たった相手は戦闘不能に追い込まれることは必須である。
 とはいえ、こんなものを作れる人はそうそういない。たとえ本調子のピエロであったとしても作れないだろう。
 百か椎のどちらが作ったかは知らないが魔法使いとしての格の違いを思い知らされる。
「でもこのおもちゃみたいな銃はないでしょ…」
 もちろんそんな凄い弾を作ろうとしたら大きな弾になるだろうことは予測できる。
 だから銃のことは仕方ないか…とも思えるが、百にしろ椎にしろ普通の銃弾のサイズで作ることはできるはずだ。
(おそらく作ったのは百ですね…)
 銃の見た目や実用性が低く遊び心満載な仕様は間違いなく百だろう。椎の性格なら実用性を取るはずだ。
 まあこの銃だったら持ち歩いていたとしてもおもちゃだと思われて法に引っ掛かることはないだろう。…百がそのことを考えているとは全く思えないが。
「で、でもこれでだいぶ勝ち目が出てきたんじゃないんですか!?」
 たしかに小春が言うように、これがあるだけでだいぶ戦況は変わるだろう。
「問題はこれ一発しかないというところですね。外したらおしまいです」
 そう、切り札というものは上手くいけば心強いが失敗すればそれまでなのだ。
 ここぞという一回にしか使えない。
 しかも今回の切り札は性質上、できるだけ早めに切りたいカードでもある。
 そうなると相手の隙を狙って使うという切り札を使う上での常套も使えない。
「いきなり使うということはできませんから戦う中で隙を見つけて使うしかありませんね」
「…同感」
「まあ…それしかないわね」
 初羽たちもそれは分かっているが、結局は戦う中で隙を見つけて使うしかないという結論に達する。
「できれば試し撃ちをして飛距離や威力を確かめたいところなんですけど…」
「無理でしょ」
「はい。ですからなるべく近距離で撃つしかないと思います」
「それで、誰がその役をやるんですか?」
「普通に考えれば初じゃない? この中で一番動けるのって初だし」
「…同感」
「いえ、この役目は小春にお願いしようと思います」
「そうですね、小春なら任せ…って!! こ、こはるですかあ!!?」
 初羽の意外すぎる人選に驚きのあまりノリツッコミ風になってしまった小春だった。
 もちろん絢とメイも驚きを隠せない。
 だけど初羽も適当に選んだわけではなく色々と思うところがあった。
 一つ、確かに初羽はこの中では能力を使えば最も身体能力が高いだろう。他の二人とは違い、戦う際に常に動き回るのが重要だからだ。
 そしてそれはピエロも知っているだろう。
 なにしろこの前の馬の使役獣との戦いの際に最も動き回っていたのは初羽なのだから。
 そんな遊撃向きの初羽が戦いの際に隙を伺うような戦い方をしていたら何か企んでいると言わんばかりだ。
 そうなった場合、初羽に対する警戒が生まれ隙を縫うのはかなり困難だろう。
 二つ目に、絢とメイにこの役目は任せにくい。
 二人とも魔法をメインに戦うため、その特性上接近戦は向かないのである。
 銃の飛距離が分からない以上、今回はなるべく相手に接近する必要があるが、絢かメイにその役目を任せた場合、戦うのにベストな間合いを棄てざるをえなくなる。
 そうなると戦闘バランスが一気に狂うことに繋がりかねない。
 前の戦いの時、メイが必ずと言っていいほど距離をとっていたのはそのことも一要因である。
 それに魔法は基本的に威力があるため、接近戦で使うことは推奨されない。
 絢かメイに任せるぐらいなら、まだ初羽がやった方が可能性があるくらいである。
 そういうわけで小春に白羽の矢が立ったのだ。(特攻隊長に任命されたとも言う)
 小春は魔法が使えないので敵と距離を取る必要がないので絢やメイよりも向いている。
 初羽に比べれば身体能力は劣るが、それでも絢による身体強化を施せば常人以上に動ける。
 そういう点を考えれば切り札を切る役目は小春が向いているのだ。
 それに昨日の百との訓練をしている時にみんなが感じていたが、小春は普通の人よりも戦闘慣れしているようなのだ。
 特訓の後半には百の攻撃を受け止めたり受け身を取ったり避けたりできるほどになっていた。
 まあ百は小春には初羽に対するよりも手を抜いていたのだが、それを差し引いてもおそらく普通の人より強いだろう。その辺のチンピラと喧嘩しても案外勝ってしまうのではないだろうか。…怯えて逃げる様子が目に浮かぶ。
 とはいえ小春ならピエロも何も出来ないからと警戒しないだろうし隙を縫うには最も適役なのだ。
 もちろんその時が来るまでは小春に無理をさせるつもりはないし、出来る限り初羽がフォローするつもりである。
 しかし、それでも今回の戦いにおいて大役であることには違いない。
「小春にはそんな役は無理ですよ! こういうのはやっぱり初さんが…」
「私ではピエロに警戒されるでしょうから隙を伺うのはほとんど不可能です。絢とメイは近付いて戦うのは向いていませんからこの役目が果たせるのは小春しかいないんです」
「で、でも…」
「小春が不安がるのは仕方ないです。でも私だって、絢やメイだって自信があるわけではありません。ただ自分にできることを精一杯やろうとしているだけです。この前の馬の化物と戦ったときだってそうです。私だって怖かったけど、私は私にできる精一杯をやっただけです。怖いのは分かりますしどうしても出来ないというのでしたら無理強いもしません。でも、私たちのことを友達だって思ってくれるのなら、少し勇気を出して私たちを助けてくれませんか?」
「う、うう…」
 小春は悩んでしまう。
 小春が不安に思うのは仕方ないことだ。なにしろこれは小春にとって初めての実戦となる。(記憶喪失以前のことは分からないが)
 しかし、それは誰だって経験することだ。初羽もメイも経験したことであり、絢に至っては人と対峙するという意味においては初めての戦いである。
 そして今度の戦いでは勝てる可能性も低く、負ければ殺されることだって考えられる。
 そんな中、初羽も絢もメイも怖がっていないわけがない。
 みんな小春と同じなのだ。
 小春より力があっても小春と同じである。
 命を懸ける戦いに怖がりもする。
 みんな、一緒なのだ。
 小春は考え、決意した。
「分かりました! こ、小春がどれだけ力になれるか分からないですけど一生懸命頑張ります!」
「はい、一生懸命頑張りましょう!」
 これでピエロ対策は整った。
 万全ではないが、今できる手はこれで全部打ったと初羽は考えていた。
 そして内心で初羽は小春に謝っていた。
 あんな言われ方をすれば小春の性格がら断れないことを知っていたからだ。
 もちろん小春を危険な目に遭わせるつもりはないが、騙してしまったような感じには違いない。
 それでも、作戦を成功させる可能性を上げるためには必要なことだったのだ。
 もしこれで失敗したら勝ち目はほとんどなくなるだろう。
(その時は…)
 初羽の表情が厳しいものになる。
 そんな初羽の様子に気付くものは誰もいなかった…。

 そして初羽たちは細かい打ち合わせをし、魔導書の間に辿り着く。
「みんな、準備はいいですか?」
 初羽がみんなに確認を取る。
 みんなの覚悟を、今一度確認するために。
「もちろん! いつでもいいわよ!」
 絢が応える。
 そこには不安の影はなく、いつもの絢の態度である。
「だ、大丈夫です!」
 小春が応える。
 まだ怖がっている様子ではあるが、気合は十分のようである。
「………」
 メイが…応えない。
 だけどそれは戦いに怯えてるのではなく、冷静さの中に熱意さえ感じる。
 まあ空気読め的な感じではあるのだが…。
「じゃあ行きましょう!」
「ええ!」「はい!」「…(こく!)」



 これは、精霊を連れた少女のおはなし。
 精霊を連れた少女のおはなし。

    ――物語の始まりの終わり
            その終わりを語る一幕―― 

 魔導書に現れた敵。
 その戦いの一幕。



「やあよく来たネ。必ず来ると思っていたヨ」
「ピエロ…!」
 魔導書の中、ピエロが待ち構えていた。
 以前ピエロと出遭い、使役獣と戦わされたあの草原である。
 そこでピエロと初羽たちは対峙していた。
 緊張感が走る。
「今度こそ、あなたを倒します!」
「アハハ! キミのその気概は買うけれどそれはムリというものだヨ! ボクはまだ倒されるつもりはないからネ」
「そんなの知ったことじゃないわ! この前は見ているだけしかできなかったけど今日は私だって戦うんだから!」
「こ、小春だって頑張ります!」
「…覚悟」
「なるほど、それがキミの言うボクを倒す秘訣かい? 冗談! 仲良しごっこで倒されるほどボクは甘くないヨ」
「そんな虚勢いつまで続けられるでしょうか。あなたの魔力があの時よりも格段に少ないのは分かっているんです」
「へえ、よく気付いたネ。それはキミの能力かい? それとも誰かオトモダチに教えてもらったのかイ?」
「…お前には関係ない」
「ハハ! まあいいサ。ボクも気付かれていないとは思っていないからネ」
「どういう意味よ!」
「どういう意味もそういう意味サ。キミたちはまんまと罠に掛かったということサ」
「ど、どういうことなんですか!?」
「おや? 教えてほしいのかイ? つまり、こういうことサ!」
 ピエロが右手を鳴らす。
 すると周りの風景が一気に歪んだ。
「えっ!?」「なっ!?」「ええ!?」「…!」
 カラフルな床に辺りに転がる大小さまざまな箱や車や人形、空には赤青黄色の風船が浮かんでいる。
 それはまるで『おもちゃの国』である。
「ど、どうなってるんですか!?」
 パニックになる小春。
 そしてそれは初羽、絢、メイも同じであった。
「まさか…!」
「『幻想心域』!?」
「…『固有結界』!!」
「御名答! どうだイ? ボクの『玩具工場(おもちゃこうじょう)』は? なかなか愉快な世界だろう?」
 『幻想心域』『固有結界』。
 絢とメイが別々の名称を言ったが、どちらもおおよそ同じ意味である。
 正確には『固有結界』の方が広義的な意味で使われ『幻想心域』は狭義的な意味で使われることが多い。
 『幻想心域』とは『固有結界』と呼ばれる大魔術・大魔法の一種で術者の心象風景(精神や心、内面世界、妄想とも言い換えられる)を広げ、現実世界に映し出し、一定範囲内を別世界に変える魔術・魔法である。
 これに対し『固有結界』は一定範囲内を別世界に変える魔術・魔法で、術者の心象風景に限らない。
 『幻想心域』は個々の術者の心象世界がそれぞれに異なる以上、同じ心象世界はまずない。まずというのは双子などで同じ心象世界になることは稀にあるためだ。
 しかし『幻想心域』はその展開と維持に莫大な魔力を必要とする上、世界からの修正を常に受け続けるため、魔術師として未熟なため魔力が足りず、自力で固有結界を展開することができない者もいる。
 そのため『幻想心域』を使える人を『魔法使い』、使えない人を『魔術師』として区別している組織や教会も多く、『幻想心域』が使える魔法使いのみを採る組織や教会もある。
 つまりこの分類に則して言えば魔術師である絢は『幻想心域』を使うことが出来ず、魔法使いであるメイは『幻想心域』が使えるということだ。
 もっとも実際には『幻想心域』を展開し切れなかったり、数秒しか維持できない魔法使いもいる。
 また展開、維持できたとしても並みの人間の術者にはせいぜい数分程度の維持しかできない。もちろん『幻想心域』は個々の術者によって違うので必要とされる魔力もまた個々に違う。中には一時間以上展開し続けられる術者もいるらしい。(おそらく百や椎といった術者なのだろう)
 仮にその数分で勝負がつかなかった場合、どうなるかは明白だ。
 要するに別世界を造れる強力な魔法というメリットがある分、長期戦には向かないというデメリットもある。
 …少し話が逸れた。
 今問題なのはピエロが『幻想心域』を使ったということだ。
 前述した通り『幻想心域』を展開、維持するには莫大な魔力を必要とする。
 なぜ魔力が激減しているはずのピエロが『幻想心域』を展開出来ているのか。
 確かに魔力が激減していても『幻想心域』が使えないとは限らない。
 だが、この場合はそう考えるより…。
「まさか…魔力が少ないのはフェイクだったんですか?!」
「残念だったネ! 読みが違ったみたいでサ」
 ピエロは元々魔力が減ってなどいない、という結論の方がしっくり来る。
 そう考えれば前回の戦いの時に自分が戦わず傍観者に徹したのも魔力がないと思わせるフェイクだったのだろう。
 そしてピエロが本調子ではないと錯覚させた上でおびき寄せ罠に掛ける。
 まさに観客を騙す道化師そのものだ。
「ど、どうするんですか!?」
「どうするもこうするも…!」
 絢と小春がパニックに陥っていた。
 無理もない。
 初羽はピエロが本調子でないと予測していたのに実際は違ったのだ。
 この時点でピエロが本調子でない時を予測した作戦は全て瓦解している。
 しかもこの状況で逃げることは不可能だろう。
「ごめんなさい。私の読みが違っていたばかりにみんなを危険な目に巻きこんでしまって」
 初羽は本当に申し訳なさそうに謝った。
 みんなを危険な目に遭わせないと誓っておいてこのざまだ。
 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 だけど…
「…やるしかない」
 そんな空気の中、メイははっきりと意見を言う。
 そしてそれは誰もがそれしか選択肢がないと分かっていながら誰もが踏み切れないでいた選択であった。
「メイ…」
「で、でも…」
 それでも絢と小春はまだ踏み切れないでいた。
 そんな中、メイは初羽を見ていた。
 初羽は絢のことも小春のこともメイのことも見ていなかった。
 実は初羽はメイに言われた言葉を聴いてすらいなかった。
(例え絶望的な状況だったとしても守りたいもののために…)
 それはいつかの信哉の言葉。
 読み違えたならば再び練り直せばいい。
 諦めたらそこで全てが失われる。
 まずこの戦いに勝機はまだ見出せるのか。
 初羽が出した結論は………まだ、打つ手はある。
「絢、小春、戦いましょう」
「う、初さん?」
「初…?」
「大丈夫。勝ち目はまだあります」
 一つ、前述した通り『幻想心域』は並みの人間の術者にはせいぜい数分程度の維持しかできない。
 もちろんピエロが並みの術者ではないことは分かっている。
 だが、どんな超人だったとしても『幻想心域』の維持には魔力が必要なのだ。それはピエロとて例外ではない。
 数分で消えるとは思わないがおそらく数十分、長くとも一時間も持ち堪えられれば『幻想心域』の維持は叶わないはずだ。
 二つ、初羽たちには切り札があるのだ。
 そう、百から預かった銃の効果は相手の魔力バイパスを狂わせ、魔力を拡散させるというものだ。
 そしてそれはピエロの魔力が本調子だったとしても例外ではない。
 つまり相手の戦力を読み違えてこそいても、作戦が成功すれば初羽たちの勝ちが決まるのは変わっていない。
「大丈夫。最初の作戦通りいけばきっと勝てます」
「……分かった。初がそういうなら信じる」
「さ、作戦…うう、が、頑張ります!」
 二人とも初羽の意図が伝わったのか、さっきよりもましな顔になっていた。
 小春は意図が伝わったせいで余計緊張しているようにも見えるが…。
 初羽が、絢が、小春が、メイがピエロと相対する。
「おやおや、まさかこの状況で刃向う気力があるなんてネ。さすがボクが主人公に選んだだけはある」
「一つ、訊きたいことがあります」
 初羽がピエロに問う。
「なぜあなたは生きているんですか」
 それは初羽しか知らない出来事。
 それは昔の…。
「あなたは信哉が倒したはずです。どうしてまだ生きているんですか!」
「アハハ! そりゃそうだよねえ! 死んだ人間が生きて帰ってきたらそう訊くよネエ!!」
「質問に答えて下さい!!!」
「それをキミに教えるつもりはないヨ! 教えてもらいたければ力尽くで訊き出してみるんだネ!!!!」
「クロ!!!!!」
 初羽とクロがコンファインする。
 ピエロの周りの人形が動き出す。
 絢が、小春が、メイが戦う体勢を取る。
「なら力尽くで訊き出してみせます!」
 跳ぶ! 跳ねる! 跳ね回る!
 舞う! 踊る! 舞い踊る!
 ピエロの人形が飛びまわる中、初羽は舞い跳ねる!
 人形たちの手にはナイフが握られ、一本一本が初羽を狙う。
 それら刃の嵐を掻い潜り初羽は戦う。
 避け、蹴り、避け、穿つ。
 それは羽根を持った鳥のように。
 軽やかな動きで人形を倒していく。
 一、二、三、四、五、六、七、八。
 一瞬の間に襲い掛かってきた人形を蹴散らす。
「この程度ですか?」
「まさか、それにしても随分と成長したようじゃないカ? いったいどんな手を使ったんだイ?」
「良き師に教えを乞うただけですよ」
 また一体倒す。
「ピエロ! 今日こそあなたを倒します!!」
「いいヨ! 物語の区切り目には強敵との戦いが必要だからネ。ボクを倒せるのなら倒せばいい。でも、ここは敗北を刻んで悔しさをバネに強くなるシーンだ。格の違いを教えてあげるヨ!」
 ピエロが空に浮かぶ。
 ナイフを取り出し投げる。
 初羽はそれをかわし、途中人形を一体蹴り、ピエロに蹴りを入れる。
 ピエロはそれをかわす。
 蹴りが空を切った初羽は地面に着地し横っ跳びに跳ぶ。
 初羽が着地した場所にはさっきまでなかったナイフが突き刺さっていた。
 そこへ人形が一斉にとびかかる。
「詠唱省略ファイアアロー! バースト!」
 メイの援護が入る。
 人形たちが爆発に巻き込まれる。
「詠唱省略ファイアアロー!」
 五本の矢をピエロに向けて放つ。
「ハハ!」
 しかしその攻撃はピエロに軽く避けられる。
「っ!」
 間髪置かず初羽がピエロの背後から襲いかかる。
 だが死角からの攻撃をピエロは苦もなくかわす。
「今のはなかなかいい一撃だったヨ」
「どういたしまして…」
 明らかにピエロはまだ遊んでいる。
 対してこちらは余裕なんてない。
 しかしこのタイミングで切り札を切るのはまだ不可能だ。
 攻めあぐねている初羽。
「さっきまでの威勢はどうしたんだい? 来ないならこっちからいくヨ!」
 ピエロが右手を鳴らす。
 すると周りに散らばっていた箱が開き出した。
「ジャックインザボックス! 中身は開けてからのお楽しみ!」
 ある箱からはナイフが飛び、ある箱からは炎が出、ある箱からは新たな人形が出てくる。またある箱からは黒ひげ危機一髪が(樽ごと)出てきたりもした。
「そんな!?」
「うそ!?」
「無茶苦茶です!!」
「…ち」
 より悪くなった状況に四人とも焦りを隠せない。
 今まで後方で様子を見守っていた絢と小春にも人形が襲いかかる。
「わわっ!」
 小春が人形たちの攻撃を避ける。
 身体強化が施されている小春にとって、攻撃を避けるのは難しいことではなかった。
 絢が手元からビー玉を取り出す。
 ビー玉の色は白。
 絢はその内一つを人形に向かって投げつける。
 ビー玉は人形を貫いた。
 白のビー玉に込められているのは『強化』。
 物質の結合をより強固にし、ビー玉なら鉄をも貫くことが出来る強度を与える。
 ポケットに忍ばせていた白いビー玉を新たに四つ取り出し小春の周りにいる人形に投げる。
 一、二、三、四。
 人形を四体撃破する。
 そして絢が手を捻ると手元に投げた五つのビー玉が戻ってきた。
 そう、このビー玉のもう一つの特性に魔力線を使って手元に戻すことが出来るというのがある。
 絢が使う他のビー玉(赤や水色)は投げると同時に込められている魔力を全て使うため、使った後はただのビー玉に戻ってしまう。
 しかしこの白いビー玉は使った後も『強化』の魔力は残されているためその糸を辿って手元に戻すことが可能なのである。
 もっとも、その実態は“弾数制限のない銃”と変わらないため魔術師相手には全く使えない魔術だったりする。
 とはいえ今この場で人形と相対するには充分である。
 そしてその間に初羽は三、メイは五体の人形をそれぞれ倒していた。
 だがその間にも人形が増え続けていた。
 これではいくら人形を倒しても意味がない。
 かといって人形を無視してピエロに突撃するのも今の状況では危険である。
 なにしろそこら中にナイフが降り注ぎ、火が噴き出ているのだから。
 だがそれは初羽たちにも悪い側面ばかりではなかった。
 というのもピエロの人形の一部はナイフに串刺しにされたり、火に燃やされたりしているからである。
 しかし人形の生産される数は半端でない。
 そんな自滅した人形が何体か出ても大勢には影響がないように見える。
「アハハ! どうだい? 面白いギミックだろう? ボクの傑作の一つサ」
「悪趣味です」
「そんなつれないこと言わないでくれヨ」
「…悪趣味」
 ピエロと会話しながら初羽とメイは人形を相手にすることも忘れない。
 あまりの数の多さにメイは魔法の詠唱省略すら省略して無言で矢を放っていた。
「そういえばまだ訊いていませんでした。どうしてあなたはまだ生きているんですか」
 戦いの手を止めずに初羽がピエロに問う。
 後ろでは絢が人形を二体仕留めていた。
「そうだねえ。キミはどう思うんだい?」
 初羽の蹴りを避けながらピエロが問い返す。
 飛んでくるナイフを避けつつ初羽が言葉を返す。
「想像だけならいくらでも出来ますよ。例えば幻影。以前倒したあなたは幻影で作られた偽物だった。例えば転移。倒される瞬間あなたは自分をどこかに転移させた。例えば刷り込み。あなたが私に偽りの記憶を刷り込ませた。…想像するだけならいくらでもできます」
「つまりはそういうことサ。いくら考えたところで過程に意味はなイ。今ボクがここにいる。それだけが全てサ」
「要は教えるつもりはないということですか」
「マ、そういうことサ」
 ピエロと初羽が距離を取る。
 この間、初羽はピエロに攻撃を七回仕掛け、ピエロはナイフを五回投げていた。
 また初羽はピエロの人形を七体、メイは十三体、絢は五体、小春は一体倒している。
 そして初羽は会話をすることによってピエロの気を引こうと画策していたのだが肝心のそれは失敗に終わっていた。
 なにしろ人形やトラップの数が多くて各自が思うように連携が取れないのだ。
 情勢は初羽たちに不利なのに均衡状態を保てているのはピエロが遊んでいるからだ。
 ピエロの人形は一撃で倒せるほど脆いし、トラップも危険ではあるが避けられないほどではない。そしてなによりピエロが積極的に攻撃を仕掛けることをしない。
 絶対的優位者の余裕というものだろう。
 実際、ピエロの手抜きがなければ初羽たちはここまで持っていないはずだ。
(だけど…)
 初羽はなにか違和感を感じていた。
 だが、何に違和感を感じているのか。
 それが分からない。
 それが分かればこの状況を打開できるかもしれないのだが…。

 30分後。
 戦いはまだ続いていた。
 人形を倒した数は既に三桁を超えているだろう。
 だが初羽や絢、メイの顔に疲れは見えない。
 意外なのは小春も疲れた様子がないということだ。
 それどころか小春の動きは良くなっていた。
「ええーい!」
 小春が人形を蹴り飛ばす。
「やあ!」
 背後から襲ってきた人形をグーで殴る。
 初羽にこそ及ばないが、絢の手助けがなくても人形を相手にできるほどの活躍を見せていた。
(うーん…?)
 だけど小春はなにか違うと感じていた。
 言葉にするなら、これは“私の戦い方”ではないというべきか。
 小春自身にもよく分からないが、とにかく何か違うと感じていた。
「せいっ!」
 絢はときおり飛んでくるナイフを避けつつ、五つのビー玉を駆使して人形を倒していく。
「………」
 メイは黙って人形の始末と初羽のフォローをしていた。
 そして初羽は人形を倒しつつピエロと戦っていた。
「っ!」
「アハハハハ! どうしたんだイ? 少し動きが鈍ってきたんじゃないのかイ?」
 ピエロが嘲笑う。
 が、それは仕方ないことでもある。
 初羽は隙を作るためピエロに積極的に攻めている分、他の三人よりも運動量が多い。
 おそらく倍以上は動いているだろう。
 それは倍以上疲れているとも言い換えれる。
 とはいえピエロが言うように初羽の動きが鈍っているのかと訊かれると別段そうでもなかったりする。
 なにしろ初羽はあの百の地獄特訓に付き合わされた経験があるのだ。
 それに比べたらこの30分なんて苦にもならないだろう。
 ならなぜ動きが鈍っているのか。
 それは初羽が戦闘に集中していないことにあった。
 そう、ピエロに感じる違和感。
 30分も戦っているうちに初羽はその違和感がなんなのか分かってきたように感じていた。
 戦闘の手を止めずに初羽は思考し続ける。
 初羽はピエロに蹴りかかる。
 ピエロは初羽の攻撃を避け、ナイフを投げる。
 この行動が違和感の元だった。
 これのどこがおかしいのか。
 これだけでは分かりにくい。
 だけどピエロの行動を羅列してみるとどこか違和感を感じるはずだ。
 ピエロの行動とは『幻想心域』を展開し、空に浮かんで初羽の攻撃をかわしつつ、おもちゃ箱の魔法を常時発動し続けている。
 もっと穿った言い方をするのなら、ピエロは『幻想心域』という大魔法やおもちゃ箱の魔法を行使し続けているのに、自身の攻撃には魔力を使っていない。
 魔法使いには魔法による攻撃しか通用しない。
 魔法使いは基本的に魔力による身体強化をしているため普通の人間、つまり魔力を纏っていない人間では太刀打ちできない。
 対抗するにはこちらも魔力による攻撃をするしかない。
 例えば初羽みたいに蹴りに魔力をのせたり、絢みたいに物に魔力を込めて攻撃したり、メイみたいに魔力を物質化して攻撃したり。
 だがピエロにその気配はない。
 『幻想心域』などの広範囲大魔法を使っているというのにピエロが投げるナイフには魔力が一片たりとも込められていない。
 もちろんナイフが刺されば痛いし、初羽は魔法使いではないので全身魔力で覆うということはできないが『幻想心域』という大魔法を使っているのにナイフに込める魔力をケチるというのは腑に落ちない。
 そしてピエロは初羽の攻撃を全て避けている。
 ピエロと戦い始めて30分。
 ピエロは一度たりとも初羽の攻撃を受け止めたりはしていない。
 さらに言うならメイの攻撃もピエロは全て避けている。
 もちろん攻撃をかわすこと自体は何もおかしいことではない。昨日の百との特訓でも百はほとんどの攻撃を避けていた。
 だがピエロの避け方はあまりにも強引なのだ。
 戦いにおいて重要なのは体勢である。
 一度でも体勢が崩れた場合、格闘戦においては致命的と言える。
 例え相手と距離を取る戦い方であっても体勢というのは重要である。
 初羽の攻撃もピエロを積極的に狙っているが例え外したとしてもすぐ次の行動に移れる体勢を取っている。
 しかしピエロはそうではない。
 ピエロは例え無理な体勢になっても初羽やメイの攻撃を強引に避ける。
 普通なら無理な避け方などせず初羽たちの攻撃を受け止めて反撃に転じればいい。昨日の百との特訓ですら初羽は何度か攻撃を受け止められていた。
 だがピエロは決して初羽たちの攻撃を受け止めようとはしなかった。
 そう、まるで攻撃が当たってしまったら致命的とでもいうかのように。
 こうして羅列してみるとピエロの行動に違和感を感じるだろう。
「えいっ!」
「ム!?」
 ピエロが初羽の攻撃を避ける。
 だがピエロはナイフを投げてこない。
 実際、ピエロがナイフを投げる回数は戦闘開始直後と比べて明らかに少なくなっている。
「…バースト!」
「ぬゥ!」
 メイの攻撃をピエロが紙一重で避ける。
 ピエロが初羽たちの攻撃を避けられているのは、空に浮かんでいるからこその無軌道な移動と飛んでくるナイフや火の妨害があるからである。
「なかなかやるじゃないカ」
 ピエロは余裕を崩さない。
 だが、初羽はこの違和感のカラクリの全容がなんとなく掴めてきていた。
 それは…
「いつまでそんな余裕をしているつもりですか? あなたの魔力はもうほとんどないんですよね」
「ふぅン…いつ気付いたんだイ?」
 ピエロは何でもないかのように言う。
 だがその声色には今までになかった焦りを感じる。
「ど、どういう意味ですか?」
 人形を倒しつつ小春が訊く。
 絢もメイも人形と戦いつつ初羽の言葉に耳を傾けていた。
「言った通りです。最初に予想していた通りピエロの魔力はほとんどないということです」
「え?!」「そうなんですか!?」「…どういうこと?」
 初羽の言葉に誰もが疑問を浮かべる。
「私も最初は騙されていました…『幻想心域』を使えるということは魔力が十分にある。ピエロが実は本調子であることを隠していたんだって」
 『幻想心域』はその展開と維持に莫大な魔力を必要とする大魔法。
 ゆえにピエロは莫大な魔力を持っているのだと、そう思っていた。
「ですがそれは違ったんです。ピエロには『幻想心域』を使えるほどの魔力はありません。いえ、そもそもこれは『幻想心域』じゃないんです」
「「えっ!?」」「…え?」
「へェ…」
 ピエロのいかにもな話し方やまるで『幻想心域』を使ったかのような突然別世界に変わったこと。
 それらが積み重なって『『幻想心域』が使えるピエロは十分な魔力を持っている』と思い込まされてしまっていた。
「本当に魔力が十分あるのでしたら私やメイの攻撃を無理に避ける必要はありません。防御陣でも張って攻撃を防いだ方がいいです。それにあなたの投げてくるナイフには魔力が一切込められていませんでした。魔法使いが攻撃手段に魔力を込めないというのはあり得ません。それで思いました。つまり、あなたには魔力がほとんどない」
「ならバ、この状況はどう説明するんだイ? 現にボクの『玩具工場』は発動しているんだヨ?」
「その理由は簡単です。あなたは自分の魔力ではなく他から魔力を得ているということです」
「あ!」
 絢がなにかに気付いたように声を上げる。
「ここは魔導書の内部。魔力はそこら中に溢れています。といっても魔力を使うには魔導書内でエリアの魔力を統括しているものを倒さないといけないんですけど以前戦った時の口振りからするといくつかのエリアの魔力は掌握しているんでしょう? そしてそれらの魔力を使ってこの世界を作り上げた。さらに言うならここは魔導書の中で現実ではなく疑似的な世界です。新しく世界を作るのに苦もなかったはずです」
「???」
 小春はいまいち理解していないようだった。
「ご名答! さすがボクが目を付けただけはあるネ!」
 だがピエロは自分の仕掛けが見破られたというのに余裕の態度を崩していなかった。
「ずいぶん余裕そうじゃない。あんたのトリックはもうバレてんのよ!」
「おかしな事を言うネ。ボクのトリックがバレたからどうだって言うんだイ?」
「なっ!?」
「確かにボクのトリックを見破ったのは驚きサ。だけどそれがバレたところでボクの優位は揺るがないんだヨ」
 初羽の言うとおり、ピエロが魔導書内の魔力を使ってこの世界を創っているのなら『幻想心域』とは違い、半永久的にこの世界が存在することになる。
 最初は『幻想心域』が維持できなくなるまで戦い続ければ勝機があると考えたが、魔力の供給が絶えないならそれは期待できなくなった。
 そう考えると初羽たちの勝ち目はより薄くなったと言えるだろう。
 初羽たちに残った勝ち目は切り札だけになったと言える。
 その切り札も今となってはどこまで通用するのか疑わしい。
 なにしろピエロはこの世界の維持に自分の魔力を使用していない。
 ということは仮にピエロに切り札を使ったとしてもこの世界が消える保証はないのだ。
 もちろん全く効果がないということはないだろうが、戦況を引っくり返すほどの効果があるのかと訊かれると疑問が残るだろう。
「ですけど、今は私たちの方が優勢なのも事実です」
 初羽の言うとおり、ある一面において今の戦況は初羽たち寄りなのだ。
 ピエロも自分の魔力を使っていないせいか、本来の『幻想心域』の効力を発揮していない。本当なら『幻想心域』はもっと強力な魔法のはずなのだ。
 そしてピエロの人形たちも強くない。直線的な攻撃が多く、出来の悪い使い魔レベルだ。考えてみれば以前の馬の化物も直線的な攻撃が多かったようにみえる。
 つまりピエロには決定的な攻め手がない。
 対して初羽たちには切り札がある。
 長期戦になればピエロが、短期戦ならば初羽たちの方が有利という状況。
 この戦いの決め手は初羽たちの体力が尽きる前にピエロの隙を突けるかどうかに掛かっていた。
 しかしピエロもそれは理解しているのだろう。
 現に戦いが始まってから今までの約30分、初羽たちはピエロに一撃も入れられていない。
 戦闘の経験の差というのもあるのだろうがそれ以上に厄介なのがピエロの創ったこの世界だった。
 ナイフが飛んできたり火が立ち昇るこの世界では思うように動けない。
 そして人形の妨害もある。
 それら一つ一つは避けられるものであるが、その分行動が制限されるのは悩みの種であった。
 かといってそれらをどうにかする方法もない。
 結局、戦いは硬直状態が続くほかなかった。

 そして更に30分後、戦い始めてから一時間が経過した。
「はぁ、はぁ…」
 さすがに初羽たちにも疲れが見え始めていた。
 特に絢とメイは肩で息をしていた。
 普段は魔法を使った後方支援が主なため動くことがないからだろう。
 初羽は変わらずまだ余裕があるようにも見える。そこは百の地獄特訓の成果だと言えるだろう。
 そして意外なことに小春も疲れた様子が見えなかった。
 初羽ほどではないが小春もかなり動いている。
 それどころか動きが鈍くなっている絢のフォローまでしている。
 もはや小春が倒した人形の数は絢よりも多いのではないだろうか。
「ホラホラ! さっきまでの威勢はどうしたんだイ?」
「くっ!」
 さすがに初羽も反論できなくなっていた。
 初羽も今やピエロの相手をしている余裕などなく人形の相手ばかりしていた。
 絢はビー玉で攻撃こそしているがその操る数も二つだけである。ビー玉二つで人形を相手にし切れるわけがなく、その分の人形を小春が倒す形でフォローしている。
 メイも矢を放つ頻度が少なくなっていた。絢ほどの疲れは見せていないが、それでも人形を避けるのが精一杯といったところで初羽のフォローをする余裕はなくなっている。
 それに比べてピエロはまだまだ余裕があった。
 なにしろピエロは自分が戦わなくても魔法の効果がある。
 そしてその魔法は自動的なものなのだ。
 ピエロが何をしなくても魔法は発動し続ける。
 今や形勢はピエロに優位だった。
(限界…ですね)
 初羽が内心呟く。
 もはや絢は限界でメイも自身を護るのに精一杯だろう。
 小春がまだ動けているのには初羽も驚きだったが。
(こうなったら…)
 切り札を無理にでも切るしかない。と初羽は考えていた。
 小春に渡してある切り札を受け取り、自分が使うしかないと。
 できればあまり使いたくなかった手段ではあるが仕方がない。
 今のままではジリ貧になるのは目に見えている。
 このまま何もしないよりは賭けに出た方がいい。
 本当ならこのような考えは短絡的なものだがもう他に方法がないのも事実だ。
 だが小春に近付こうとしても人形たちが行く手を阻む。
(なんとかしないと…!)
 初羽が小春に近付こうと焦っていたのと同じように小春も焦っていた。
(ど、どうすればいいんでしょうか!?)
 初羽から切り札を預かった小春だったが、切るタイミングが分からなかった。
 というのも、小春が思ったより戦えたために、逆に自由に動き辛くなっていたのだった。
 それは誰も予想していなかったので完全に誤算であったが、小春が戦えていなかったらここまで保つこともできなかっただろう。
 だが、今や絢をフォローするために小春はピエロに近付くことすら儘ならなくなっていた。
(このままじゃ…時間が止まったりすればいいのに…!)
 小春は願わずにはいられなかった。
 このままではみんなが危ない。
 切り札を使おうにも今の状態では絢を放っておくわけにもいかない。
 そう考えている今も人形が襲い掛かってくる。
「つ!」
 小春はその人形を倒す。
 が、視界の隅で小春を横切る人形の姿が見えた。
 人形は小春を無視して絢に向かっていった。
「危ない!」
「っ!」
 小春の声に反応して絢が振り返るが、人形はもう間近に迫っていた。
 しかし絢の手元にビー玉はない。
 どう考えても間に合わない。
 絢は腕で受け止めようとする。
 だがそんなことをすれば怪我をするのは目に見えていた。
 絢の目前に人形が迫る。
 間に合わない!
 ならば
(ならばいっそ――)


   イッソ、刻ガ、止マレバイイ


 なにかが砕けた音がした。
 世界から色が落ちる。
 全てのモノが止まる。
 針の音が聴こえる。
 動いているのは色の付いた物体だけ。
 そんな空間に世界は一変していた。
 その様子に初羽、絢、小春、メイは驚きを隠せなかった。
「いったい…?」「え?」「ど、どうなってるんですか!?」「…??!」
 そして初羽たちと同じく、この異変に驚いている人物がもう一人居た。ピエロである。
「なにガ…?!」
 全員が戦うことを忘れていた。
 静止した時間。
 時計の針は動いているはずなのに動いているものは何一つない。
 先程までの戦いも、まるでなかったかのような静けさだ。
 ただ静寂だけがこの場を支配していた。
 そしてしばらくの時間が過ぎると思われた。が、
「…バースト!」
「ぬゥ!?」
「メイ?!」
 メイが突然ピエロに対して攻撃した。
 それを契機に戦いの緊張感が場に戻る。
「絢! メイの援護をして下さい! 小春! 仕掛けます!」
「了解!」「わ、わかりました!」
「何をする気だイ…!?」
「…バースト!」
「はっ!」
 メイが矢を爆発させる。
 その煙に紛れて絢のビー玉がピエロを狙う。
 そして後ろに下がったピエロを初羽が背後から狙う。
「やぁ!」
「クッ!!」
 ピエロが初羽の攻撃をかわす。
「…逃がさない!」
 しかしその隙を見逃すメイではない。
「…仇を取らせてもらう!」
 メイがピエロに十本の矢を放つ。
「…バースト!」
「ぬァ!」
 ピエロが爆発に巻き込まれる。
「小春!」
「はい!」
 初羽の声に小春が反応する。
 小春は隠し持っていた銃を手に、ピエロに突撃する。
 大きく跳躍して煙に飛び込む。
 その中にいるピエロに照準を合わせ……
「えいっ!」
 引き金を引いた。
 それは勝利の切り札。
 これで小春たちの勝利――
「え…」
「甘いネ」
 となるはずだった。
 ピエロの前には人形がピエロを庇うように浮いていた。
 小春の撃った弾は人形の体内で止まっており、ピエロに達してはいなかった。
「まさか魔法が使えたの!?」
 絢が言う。
 初羽の分析ではピエロは自分の魔力を持たないはずだ。
「確かにボクの魔力はそんなにないが全くないとは一言も言ってないヨ」
「…嘘吐き」
「戦いなんテお互いの騙し合いサ。手の内を全て知られてしまったら終わりなんだヨ」
 ピエロの言うことは正論ではありつつも、小春たちにはショックも大きかった。
 既に一時間近くも戦っている皆は疲労も溜まっており、もう戦える状態ではない。
 この一撃が文字通り最後の切り札だったのだ。
 いくらピエロの世界が止まっていると言っても戦える状態にないのだ。
 それにこの静止する世界もいつまで持つか……
「それにしてもよく頑張った方だヨ。特にボクの『玩具工場』を止めるなんて思いもよらなかったネ。まさかボクの権限を略奪されるとハ……、イヤ、偶然かナ? どうもどうやったか自覚がないようだしネ」
 たいしてピエロの方はまだまだ余裕があるように見える。
 いくら世界が静止したとはいえ、それはピエロの魔力ではない。
 つまりピエロ自身は余力を残していると言える。
「さテ、お喋りはここまでサ。戦いの再開といこうじゃないカ。もっとも、キミ達に勝ち目はもう――」
「――いえ、私たちの勝ちです」
 銃声が響く。
「ナッ…!」
 ピエロの背後には、銃を突きつけた初羽がいた。
 その銃は小春が今手に持っているものと同じものだ。
「イッタイ…!?」
「小春の銃も、私の銃も本物です。小春が成功するのでしたらそれでも良かった。でも戦いは二手三手読むものです。特にあなたに対しては。ならあなたが自分の勝利を確信するのはいつか? それは私たちが心身ともに疲弊して切り札が失敗した時。そこまでの状態に持っていかなければあなたは決して油断しない。だけど一度自分の勝利を確信したあなたは必ず油断して隙ができます。それが私たちの絶対の勝利です」
 仮に小春が失敗したとしても問題はなかった。
 もともと百に渡された切り札の銃は二丁。
 だけど初羽は敢えて二つ目の銃の存在を隠した。
 それをみんなに言うわけにはいかなかった。
 敵を騙すにはまず味方から。
 その存在がピエロにばれてしまったらこの作戦は駄目になる。
 小春が失敗しても、もう一つある最後の詰め。
 小春が切り札を切るからこその最後の策。
 切り札を失い、打つ手がなくなったと錯覚させた瞬間にできる隙。
 それを作るためにも切り札は小春に切らせる必要があった。
 そしてその時の隙は100%できる。
 勝率を絶対に上げるための初羽の策。
 二度と大切な人を失わないために。
「そ、そんな……ボクが、こんなところで……」
「あなたの、負けです」
 世界が崩れ落ちる。
 時の止まったピエロの世界は崩れ落ち、元の草原の世界に戻る。
 ピエロの体が消えていく。
「ボクが負けるわけには……ま、まだ物語は始まったばかりなのに……あ、あぁ……」
「……」
 そしてピエロの姿が完全に消える。
 戦いは終わった。
「私たちの、勝ちです」
「か…ったの?」
「か、勝ちました! 勝ちましたよ!」
「…勝て、た」
 みんな勝てたという感動よりも戸惑いの方が大きかった。
 あれほど絶望的な状態で、そして戦況が一転したのは一瞬だったため、勝ったという実感に乏しいのだ。
 勝てたのだから素直に喜べばいいのに、そうできないというのは難儀な事である。
「とりあえず…寝たい」
「…私も」
「ふ、二人とも! ここで寝たら風邪をひいてしまいますよ!?」
「小春の言うとおりです。せめて魔導書から出るまでは頑張ってください」
「ん…分かった」
「…くー」
「寝ないで下さいよ! メイさん!」
「お疲れ様です。みんな…」
 そうして
 人知れず、戦いは幕を閉じたのだった。


~Interlude 香坂初羽~
 裏路地にあるBAR『WHITE HEARTS』。
 絢や小春、メイが屋敷で寝ている中、私はここに足を運んでいました。
 理由はある人からのメールを受け取ったからです。
 扉を開けるとベルが鳴る。
「いらっしゃーい!」
 中にはメールの差出人である百が待っていた。
 しばらく待っていたのか、百のグラスの中身は半分ほど減っていた。
「…なに飲んでるんですか?」
「焼き芋ソーダ。飲む?」
「飲みません」
 なんですかその地雷臭漂う名前の飲み物は。
「アフタヌーンティーお願いします」
 百に変な注文をされる前に適当な飲み物を注文する。
「焼き芋ソーダ入りで!」
「入れないで下さい」
 マスターがティーカップに紅茶を注いでくれる。
 一口飲んでみる。…うん、美味しい。
「それで、なんですか?」
「うん? なにが?」
「私をここに呼んだ理由です」
「んー?」
 あいかわらず百は本題をなかなか話そうとしません。
 いつものことですが少しイラっとします。
 つまり用はないということですね。
「私帰ります」
「ちょ、ちょーっと待ったーっ! 用事ならあるよん♪」
「……」
 本当に帰ってもいいですか?
「初っち、怪我してるでしょ? 私が治療してあげるよ」
「…よく気付きましたね」
「クロとの幽合(ゆうごう)を解除してないからね。分かるって」
 言われてみればその通りです。
 怪我を早く治すためにクロとのコンファインを続けていたのですけど、それがばれれば分かることです。
 とりあえず怪我をしたところを百に見せる。
「ん、なんだ。特に酷い傷はないみたいじゃん。でも一応治癒魔法いっとく?」
「いえ、結構です」
 というか治癒魔法使えるんですか? 使っているところを見たことがないんですけど…。
 それに私と魔法は相性が悪いですから、怪我を治してもらっても発作が起こる可能性もありますし。
「じゃ、あれだ。特製の怪しい薬イっとく?」
「自分で怪しいとか言わないでください」
 実際、怪しいですけど。
「まあせっかくなので頂きます」
「ほいほい」
 百が処方袋を渡してくる。
 中に入っている薬(錠剤一つにカプセル二つ)を取り出し紅茶で飲む。
 空になった袋はそのまま百に返す。
「これで明日は完璧だね!」
 なにがどう完璧なんでしょうか。
「とりあえずこれは返します」
 私は百から預かった二丁の銃をテーブルに置く。
「んー、返さなくてもよかったんだけど」
「渡されたままでも困ります」
 弾の入っていない銃なんて邪魔以外のなんでもありませんし。
 百は二丁の銃を取り、クルクル回して構える。
「ガンマン!」
「……」
 勝手にやっててください。
 それにおもちゃの銃なので正直イタいです。
「真面目な話をしていいですか?」
「ちぇぃ…」
 なんですかその返事は。
「で、結局成功したのん?」
 いい加減な態度こそ変わりませんがようやく本題に移れそうです。
「はい、言われた通りしました」
「おけおけ」
「で、そろそろ教えてもらっていいですか? あの銃はなんですか」
 百は私にあの銃は相手の魔法を封じる効果があるという説明をするようにと言っていました。
 それはつまり本当の効果は違うということです。
 クロの能力を使って調べたところおそらく…
「逆探知魔法…ですよね」
「おっ、ご名答! よく分かったね」
「目的はピエロの本体の居場所ですか?」
 ピエロが得意なのはマジック、幻惑系の魔法です。
 百はピエロの幻影の魔力を逆探知してピエロ本人の位置を突きとめようとしたのでしょう。
「さあ? どうだろ?」
「はぐらかすつもりですか」
「そういうつもりじゃないけど初って賢いから自力で分かるんじゃないかなって期待しちゃうんだよね」
「意地が悪いです」
「まあまあ、初のおかげで分かったこともあるんだし」
「なんですか?」
「ピエロの復活の理由」
「!?」
 ピエロの復活の理由。
 ピエロは前に信哉が倒したはずでした。
 しかし今回ピエロは私の目の前に現れました。
 どうやってあの致命傷で生き延びられたのか謎でしたが…。
「教えてもらえますか」
「簡潔に言えばピエロは簡単には死なないってことかな」
「簡潔過ぎます」
 どうして簡単には死なないかの理由が分かりません。
「実はピエロの魔力線の逆探知ってあんまりうまくいかなかったんだよね」
「えっ!?」
 私は確かにピエロに弾を撃ち込んだはず…。
「逆探知で辿る元って普通は魔法の使用者に辿り着くんだけどそれは分かる?」
「はい。普通魔法は複数人で行使するものではなく一人で行使するので魔力線も魔法を使った人に繋がる一本しかないはずってことですよね」
 ピエロは一人で戦っていたので魔力線もピエロに通じる一本しかないはずです。
「そう。だけどピエロの魔力線はまるで網のように張り巡らされていたの」
「…どういうことですか」
「さぁて?」
 百はにやにやしながら私を見る。
 自分で考えてみろということですか。
 …普通なら魔力線は一本しかないはず。ですがピエロは複数の魔力線を持っていた。つまり普通ではない。
 普通ではない…どのように?
 魔力線を複数持っていたという点で。
 なぜ魔力線が複数ある…どうして?
 魔法行使者の複数存在。
 …つまり?
「ピエロという存在は複数存在している」
 それが真実。
「ま、そういうことなんだろね」
「でもそんなことあり得るんですか?」
「実演して見せよっか?」
 …あり得るんですね。
 …………。
「つまりピエロはまだ生きているということですか?」
「ま、確実に生きてると思うよ」
 やっぱり…。
「あんま驚かないね?」
「今までの話を考えれば見当はつきます。それに信哉の時のピエロは今回以上に致命傷でした。それが復活したというなら今回ので倒せたとは思っていませんでした」
 それに今回は百の銃を当てただけ。
 あの銃に対象者を死に至らしめる効力はありません。
 そう考えればピエロが今回の戦いで死ぬことはないでしょう。
「それにしてもピエロは一体何者なんですか? 明らかに常人離れしてます」
「そりゃそうでしょ。ピエロはヒトじゃないもん」
「え?」
 いえ、なんとなくそんな予想はありました。
 ピエロは人として常軌を逸しています。
 なら人ではないと考えた方がより自然です。
 ですけど…そんな存在があるなんて。
「あれ? もしかして気付いてなかった?」
「もしかしたらとは思っていましたけど…」
「ならはっきり言っとくよ。ピエロはヒトじゃない。魔力体だよ」
「魔力体? 使役獣と同類なんですか?」
「似たようなもんだね。魔力体は魔力そのものが意志を持っていて使役されているわけじゃないって点で違うけど」
「あ、では百が渡したあの銃は…」
「まあそういうこと。相手が魔力体なら魔力を霧散させれば勝ちでしょ」
 つまりあの銃は文字通り切り札でもあったんですか。
 相手が魔力そのものである以上、魔力を霧散させれば無力化できる。
「ですけどピエロが魔力体ということは、つまりピエロは不死身ということなんですか?」
「そうそう」
 そんな…。
「それじゃピエロを倒すことは不可能じゃないですか?!」
「そんなことないって」
「え?」
「ピエロの魔力を一か所に集めて一気に倒すなりなんなりすれば倒せるよ」
「そんな状況あり得ないです。ピエロだって馬鹿じゃないんですから」
「まあ初の目的はピエロじゃないんだから関係ないでしょ」
「…関係はあります。同じ事が二度起こらないようにしなくてはいけませんから」
「なるほどね」
 そう、私は…。
「…帰ります」
「にゃ? もう帰るのかい?」
「これ以上は明日に障りますし」
 それにもう話すようなこともないでしょう。
 私は千円をテーブルの上に置き店を出る。
「またね~」
 外は冷たい冬の寒さだった。
 しかしその寒さも先月と比べれば大したことないのだろう。
 冬は終わり、春が近づいてくる。
 戦いは終わり、一時の平和がやってくる。
 だけど私の心は未だ凍てついたままだ。
 胸を抑える。
 発作が苦しい。
 もう百の薬を以ってしても身体が持たない証拠だ。
 おそらく私が学園を卒業する時まではもう持たないでしょう。
 一度失った命。
 尽きることに未練はありません。
 ですけど――
「信哉を生き返らせるまでは、死ぬわけにはいかないんです」
 私の歩く道を月は照らしてはくれなかった
~End Interlude~



   ――次回予告――
「ケーキバイキングに行きませんか?」
「おかずにケーキはあり得ないです!」
「…まずい」
「食べ残しは許さないわよ!」
「おねえちゃーん♪」
「? なんか手紙が…」
「まだ授業中ですよ!?」
「貴方は理由ある殺人が許されると思いますか」




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