並び語られる話の裏であり
 並び語られる話の表である

 始まりは、少女との出逢い
 そして紡がれるは
 先の見えぬ物語



#1:始まり

 二月十五日。

 香坂初羽(こうさかういは)の一日は親友の桐生絢(きりゅうあや)を起こすところから始まる。
「絢ー、朝だよー!」
 海西学園女子寮2階201号室。
 二人はそこで暮らすルームメイトである。
 そしてもう一匹、猫のクロ。
 もちろん寮内はペット厳禁であるがクロは誰からも見られない幽霊みたいな存在であることから、他の寮生はクロのことを知らない。
 ともあれ、二人と一匹はここに住んでいる。
 春、桜咲く季節に友達になってからずっと。
 そして季節は冬。寒さを感じる冷たい季節。
「あーやー!」
 ますます寒くなっていく季節、絢はなかなか起きてこようとはしなかった。
 寝ているわけではなく、夢うつつにだが起きている。
 だが、学園内でも一番のサボリ屋である絢は「寒いから」という理由でいつも朝起きるのを拒否していた。ちなみに夏は「暑いから」という理由で朝起きるのを拒否していた。
「起・き・な・さ・い!」
「ひゃぁ!?」
 そんな絢を初羽は腕を引っ張り、ベッドから引きずりおろす。文字通り腕ずくでだ。傍目には乱暴な光景だが、初羽は経験からこうでもしないと絢は起きようとしないことを学んでいた。
 絢もこうされては寝続けるを続けることは難しく、仕方なく起きることにした。
「なにすんのよ」
「なにすんのよじゃないよ。学園に行くよ」
「あたし、今日は眠いからパス」
「あ~や~~……」
(あっ、やば)
 絢は初羽が怒る直前だと悟った。このまま抵抗していたら、余計に面倒な目にあうと。
「わ、わかったわよ。行けばいいんでしょ」
「はい♪早く支度してくださいね」
「はーい…」
 絢は面倒に思いつつも、学園に登校する準備を始めた。

 四現目、数学の時間。
 絢の姿は机にはなかった。
 もっとも、絢の姿が見えないことは珍しいことではない。
 初羽と一緒に登校しHRでの出席をとった後、絢は教室から出て、どこかに行ってしまっていた。
 だけど、初羽は絢を探して教室に連れ戻そうとはしない。絢の面倒なことを嫌がる性格を知っている初羽は、連れ戻したとしても意味がないと考えているからだ。
 それに、今日は授業に出ているが初羽も絢と同じくサボリ常習犯であった。数学は好きな学問だから出席しているからであって、これが歴史とかだったら初羽もサボっていることだろう。
 初羽は教科書を眺めながら、膝の上に座っているクロを撫で続けていた。

 その頃、絢は屋上に居た。
 数学なんてかったるい。
 授業なんてかったるい。
 普段なら初羽も一緒にサボるのだが、数学と生物の時間だけは絢は孤独だった。
 だから、その時間だけは絢は一人だった。
 帰るという選択肢が一瞬頭をよぎるが今日は小テストがある日だ。それに帰ったところで特にやりたいこともない。
 こういう時、一人は退屈だ。
 時間の流れがとても遅く感じられるから。
「なにか事件でも起きないかしら…」
 つい物騒なことも言ってしまう。
 仮になにか事件が起きたところで一人では面倒くさいといって関わりもしないであろうが。
 それでも、いまさら教室に戻るわけにもいかず、独り言は増えていった。
「あ、あれ?先客がいるです?」
「は?」
 ふと声がして、後ろを見ればそこに誰かが居た。
「あ、ご、ごめんなさい!お邪魔でしたか?」
「いや、別に…」
 退屈していたし、誰か一人ぐらい来たって構わないとは思う。
「こ、小春、出て行った方がいいですか…?」
 びくびくしながら、訊いてくる。
 なんでそんなに怯えてんの…と絢は内心思っていたが、それは絢が睨むように小春を見ていたからだということには気づいていない。
「別にいいわよ。今授業サボってんのがバレたら面倒よ?」
「あ、いえ。小春はまだ転校前なので大丈夫だと思います」
「転校生?こんな時期に?」
 今月はもう二月で学校もあと一カ月ほどしかない。そんな時期に転校なんて普通あり得ないだろう。
「はい、そうみたいです」
「は?」
 絢は小春の言い方に疑問を持った。
「みたいって、どういうこと?」
 だが、返ってきた返事は絢の予想外の答えだった。
「それが……小春、記憶喪失なんですよ」
「…………は?」

 お昼休み。
 授業も終わり、屋上には初羽と絢、そして小春の三人が居た。
 初羽と絢の弁当を広げ、三人でお昼御飯を食べている。
 その話題の中心は小春であった。その中でも絢が小春から聴かされた記憶喪失についての話題が中心である。
「記憶喪失さんですか?」
 初羽が確認するように訊く。
 それはそうだろう。記憶喪失なんて、実際にはまず逢うことはないのだから。
「どうもそうみたいなんですよ…」
 小春が答える。
「曖昧ね…」
 絢が呟くが、実際そうだろう。小春自身ですら本当に自分が記憶喪失と言えるのかはっきりしないのだから。
 その理由は、小春はだいたいのことを覚えているという点にあった。
「小春もはっきりとは言い切れないんですよぅ…」
「自分の名前は覚えているんですよね?」
「はい。小春は伊吹小春(いぶきこはる)といいます」
 初羽の質問に小春は答える。
「で、この学校に編入予定なのよね」
「はい、そうです」
 絢も質問するが、この質問にも答えられる。
「でも、自分が今どこに住んでいるのかは分からないんですよね?」
「はい……その通りです」
「で、自分の過去も忘れているんだっけ」
「はい…」
 そうなのだ。
 彼女、伊吹小春は日常生活にほぼ支障がない程度の記憶は持っていた。そのため、自分が記憶喪失だと言うのが正直信じられなかった。
 大抵、人間は意識して過去を振り返ることは滅多にない。なぜなら、過去は完全に記憶しているものではないからだ。普段の生活においても、過去の事が思い出せないことはよくある。
 そのわりに、自分に関することや日常生活に関することは覚えている。それが余計にややこしかった。自分がどんな人間なのか、好物、性格、勉強の不出来、お金の使い方もパソコンの操作法もその他いろいろ覚えている。だけど、自分が今までどこに住んでいたのか、どんな学校に行っていたのか。そういうことだけが分からない。
 言うなら、部分的な記憶喪失だった。
「け、けど、特に困っているわけでもないですし、きっといつか思い出しますよ!」
「あんた、ポジティブね…」
 小春の楽観的な台詞に絢が突っ込む。
「困っていることがあったらなんでも言ってください。きっと力になりますから」
「は、はい!ありがとうございます!」
 記憶がないことに違いはない小春にとって、初羽のその言葉はとても嬉しいものだった。
「その…さっそくなのですが」
 一拍置いた後、小春は言った。
「今晩、泊めてもらえないでしょうか……」

 放課後。
 授業が終わった初羽と絢は小春と合流し、女子寮の方へ歩いていた。
「お手数おかけします…」
「そんな畏まらなくてもいいですよ。泊まる所がないのは死活問題ですから」
 恐縮している小春を、初羽がフォローする。絢は我関せずな態度を通しているが、なんだかんだで小春の方を気にかけているのは態度から分かる。
「それにしても、本当にいいんですか…?」
「はい。問題ないと思いますよ」
 小春が泊まる所がないと言った時、初羽が提案したのは小春も女子寮に入寮するということだった。
 とはいえ、今は空き部屋が一つもない状態なので、自然に相部屋ということになる。
 幸い、初羽と絢の部屋は元は三人部屋だということもあり、広さには問題なかった。
 初羽達が女子寮に向かっているのは寮長に小春の相部屋の許可を貰いに行くためだった。
「本当に問題ないといいけどね…」
「え?」
「ほら、着いたわよ」
 絢が不安になる一言を言ったが、それを訊き返す前に女子寮の前に到着した。
「うわぁ…大きいですねぇ」
「そう?寮ってこんなもんじゃないの?」
 絢は軽く言うが、小春がそう思うのも無理はない。
 海西学園女子寮は、四階建てで、学園生の女子の三分の一は入寮している。
 もっとも、一階部分は泥棒対策用に壁となっており、部屋は主に物置として使われているため実際には生徒は二階より上部分に住んでいる。
「寮長さんいらっしゃいますでしょうか?」
「さあ?居るんじゃないの?」
 初羽は寮長室と書かれたドアをノックする。
 寮長室と書かれているが、実際にここに寮長が住んでいるわけではない。ただ、寮長室は寮長だけに与えられる第二の部屋みたいなものなので、私物化していた寮長も過去にいる。現寮長も同様だった。
「はーい?」
 中から返事が聴こえた。
「失礼します」
 初羽がドアを開け、中に入る。
「はーい、いらっしゃ~い」
 寮長は書類を目の前になにやら試案している様子だった。
 初羽はその様子を見て、今はタイミングが悪いかもと考えた。
「あ、忙しいようでしたらまた改めて来ますけど…」
「いいのいいの。ちょっとした私用だから。それで?なに?」
「その、入寮希望の子がいるんですが…」
「…?どういうこと?」
「実は……」
 初羽は小春が転校生で、入寮手続きを忘れてしまって途方に暮れていると説明した。
 素直だと言われがちの初羽だが、けっこうさらりと嘘を混ぜて説明していた。が、普段の態度が態度なので疑問に思う人はいない。…真実を知っている小春と本性を知っている絢以外は。
「と、言うわけでお願いします」
「う~~ん…」
 寮長はそれを聴いて悩んでいたが、やがてなにを思いついたのか、にやつきながら提案した。
「そうだ!ねえ初羽さん、あなた、今が寮長の引き継ぎ時期っていうのは知ってる?」
「?はい、知っていますけど…」
 初羽は何を言われているのか分からなかったが寮長はそれに構わず続けて言った。
「寮長だからやっぱりそれなりに人望がある人で、先生受けがいい人になってもらうのが一番なの」
「はあ…?」
「初羽さん、人望もあるし先生受けもいいでしょ?寮長引き継いでくれないかしら?」
「え?ええ!? ええええええええええええ!!?」
 初羽は、寮長のいきなりの発言に驚いていた。
 たしかに、初羽は人望もあるし先生受けも(だいたい)いい。初羽は、他人を思いやる気持ちが強いのでよくいろんな人の手伝いをしている。それに、初羽の容姿や礼儀正しいわりに気さくな性格も人望がある理由の一つだろう。
「わ、私なんかが寮長さんですか?」
「引き受けてくれないなら、入寮の件は保留にしちゃおっかな~?」
 もはや一種の脅しだった。
「でも、私寮長の仕事とかよく分からないですし…」
「そんなもん、最初はみんな一緒よ。大丈夫よ、そんな難しい話じゃないから」
 初羽はその後もなにかと曖昧な返事をしていたが、やがて寮長の説得に負けた。
「分かりました…。私でよければやらせてもらいます」
「さっすが話が分かる♪じゃ、詳しい話は後日するわね。はい、入寮の手続き用の書類よ。書いたら私のところに持ってきてね」
「はい。それじゃ失礼します」
 初羽は部屋を出てドアを閉めた。
「お疲れ様、初」
 初羽は小春に先ほど貰った書類を渡した。
「これに必要事項を書いてきてくださいって」
「ご、ごめんなさい…。小春のために寮長さんにさせられてしまって…」
 小春は初羽が自分のために寮長を引き受けることになってしまったことを謝っていた。
 が、初羽は特に気にする様子もなかった。
「あ、いえ。寮長になるのが嫌というわけではないですから…」
「それが初羽の良い所よね」
 絢は本気でそう思っていた。初羽が他人のためになにかをやることに一切の不満を持たないのは初羽の美徳であると。絢はそんな風に考えられないからなおさらに。
「それに私にもメリットはありますし…」
「?メリットってなんですか?」
「夜遅くに出歩いててもばれないってことよ」
「あ、あはは…」
 絢が冗談めかして言う。もっとも、初羽と絢がしていることを考えればそれは嘘ではない。
「小春さん、ここが私たちの部屋ですよ」
「は、はい!お邪魔します」
 小春が部屋に入る。
「わぁ、素敵なお部屋です」
「喜んでもらえてよかったです」
 初羽は、自分たちの部屋が小春に受け入れられてもらったようで安心していた。
 物珍しそうにしていた小春に、初羽と絢が言った。
「今日から、よろしくお願いしますね。小春さん」
「よろしくね」
 小春も二人の気持ちに応えて言う。
「は、はい。これからよろしくお願いします!」
 こうして
 三人の共同生活が始まったのだった。



次の話へ

インデックスへ戻る