二月十六日木曜日

 小春が初羽と絢と相部屋になって翌日。
 まだ小春は学園生ではないため、学園には来ていない。
 初羽と絢は屋上で、新しいルームメイトについて話していた。
「それにしても、記憶喪失ねえ…」
 絢が一人呟く。それは、初羽にどう思っているのかと言葉に滲ませて訊いていた。
「あ、あはは…」
 初羽も絢の質問を理解していたが、どう答えたらいいものか困惑していた。
 記憶喪失の人なんて二人とも知り合ったこともないし無理ないことだ。普通なら失踪届があってもおかしくない。が、二人とも知っている限りではそんな届け出もない。こうなってくると、学園側がどのように状況を判断しているのか知りたいところであった。
「職員室で編入書類見せてくれないかな…」
「それはさすがに無理なんじゃないかなあ…」
 初羽は無理じゃないかと言ったが、実際にはそんなことはない。絢の家系である桐生家は学園との繋がりを持っており、少なからぬ権力を持っている。絢の欠席の多さの割りにそれが問題になっていないのも、初羽が絢の手伝いと称して学園を休むことが多くても問題にならないのはそのあたりが関与している。もっとも、この学園では警察沙汰のような事件さえ起こさなければ基本何をしても問題視されないため他にも学園を休んでいる人はそれなりにいるらしい。
 その権力を使えば、おそらく小春の編入書類を見せてもらうことは出来るだろうが、もしその書類に問題があったとしたら、小春の編入は取り消しになる可能性が高い。
 だけど、そんなことはしたくないと初羽も絢も思う。
「もしかしたらなにかあって記憶を失っているとかでしょうか?」
 初羽が可能性の一つとして挙げてみる。
「なにかってなによ」
 なにか、では範囲が広すぎてどうすることもできないし、初羽に期待しているわけではなかったが、もう少しなにかしらの手掛かりが欲しいと絢は思っていた。
「なにかの事件に巻き込まれた…とか」
 正直あんまり絞れてないと絢は思ったが、同時にある事件のことを思い出していた。
 そして初羽も、自分の台詞を言ってある事件を思い出した。
「ひょっとして…二か月前のあの事件が関連してるんじゃ……」
「絶対にない、とは言い切れないけど…」
 今から二か月前、初羽と絢は普段の街の巡回中にいつもとは違う、ある気配を感じたことがある。
 その時は、視界が悪く、危険だという理由で早々に引き揚げたが、絢は後日改めて現場を捜索したらしい。
 絢が話した内容では結果的にこの事件の調査は、とある横やりによって断念せざるを得なくなったらしいが。
 初羽と絢は、もしかしたら小春もそんな事件に巻き込まれた被害者の一人なんじゃないのかと考えたのだ。
「でもあの時の失踪者のリストに伊吹小春って名前あったっけ?」
 そこまで考えて、絢が初羽に訊いてみた。
 絢の記憶が正しければリストの中に伊吹小春という名前はなかったはずだ。
「もしかしたら最近襲われた被害者なのかも」
 初羽が絢の質問に答える。
 言われてみれば、初羽にも伊吹小春という名前に心当たりはなかった。
 だけど、小春が記憶を失ったのがつい最近だというのなら初羽たちが見た失踪者のリストには載っていない可能性も高い。
「ま、いちおう知り合いに頼んで失踪者のリスト送ってもらうわ」
 絢が携帯を取り出し、電話をかける。電話の相手はすぐに応答したようだった。
 絢が電話をしているのを見ながら、初羽は絢から聴いた事件のことを思い返していた。
 廃ビルの事件が横やりによって調査を断念させられたのは既に思い返した通りである。
 事件が起こり、調査をしていた頃、ある人物が絢に事件から手を引けと言ったらしい。
 もちろんそんなことに頷けるわけもなく、その人と絢は言い争っていたが、向こうは決して譲らず『事件に巻き込まれたら、自衛のため手は出させてもらう』ことと『人通りの多い場所で事件が起こった場合は手を出させてもらう』ことを条件に相手の要求を了承した。
 それ以来、事件からは手を引いていた。こういうことはあまり深入りし過ぎると、かえってこっちが痛手を負うというのが絢の言葉である。
 絢は絢で思うところがあるらしく、それ以来事件については調べようとせず、いつもの巡回だけしていたので初羽も特に追求はしなかった。
 そんな邂逅をしていると、絢が電話を終えたらしく初羽の方に来た。
「後でリストを送ってくれるらしいけど、どうも小春は失踪者のリストには居ないらしいわね」
「そうなんですか?」
 その言葉に、初羽は少し安心していた。
 自分で言ったこととはいえ、事件に巻き込まれた被害者であってはほしくないと内心思っていたからだ。
 しかし、結局小春の記憶喪失はなんなのかという点に戻ってしまった。
「案外頭を打ったとかかもね」
「そうかもしれません」
「でも、最後には小春が自分自身で思い出さないといけないことだと思う。私たちにはその手伝いしか出来ないんじゃないかな」
 絢はそう言って、教室に戻って行った。
 初羽もそんな絢の後を追いかけ、一緒に教室に戻って行った。



 放課後。
 初羽と絢は小春と一緒に商店街に来ていた。
 記憶喪失の小春のために街を案内することと、記憶の手掛かりが見つからないか探すためである。
 そしてもう一つ。昨日は行わなかった街の見回りも兼ねていた。
 初羽と絢は小春に店を紹介しながら、街を観察する。
 特に今は例の「失踪者事件」が起こっているのだから、街の人たちのためにも気を抜くわけにはいかない。
 そんな初羽たちの想いをよそに、街は何事もないかのような姿を見せていた。
「二人とも、なにをきょろきょろしているんですか?」
 落ちつかない様子の二人を見て、小春が訊いてきた。
「え、えーと…」
「見回りよ」
 答えに窮した初羽に対して、絢は正直に答える。
 ただし、初羽たちの行っている見回りは、ただの見回りではない。
 とはいえ、小春にその違いが分かるわけもない。
「お二人は風紀委員とかなんですか?」
「ただの仕事よ」
「へ?仕事ですか?」
「い、いえ、そうではなくて……その、そう!ボランティア!ボランティアです!」
「そうですか、ボランティアなんですか」
 絢の言っていることに嘘はないのだが、絢はとにかく説明下手でわかりやすい説明が出来ないので、初羽はよく通訳に回ることが多い。この場合もそうだった。
 それに、絢は小春に秘密にしていることがあった。


   運命は 既に 廻り 始めて いた


「――見つけた」

 ふいに、絢が呟いた。
 それは、路地裏に潜んでいた。
 見た目は、黒い塊。仄かに発光して浮いている。
 それに、意志はなく、ただ存在するだけである。
 それは、魔力の塊。
 街に発生する魔法の残滓。
 初羽が、絢が、街を見回る理由。
「あの…あれ、なんですか?」
「え?!」「……え?」
 小春の発言に絢が、少し遅れて初羽が反応した。
「小春さんは、あれが見えるんですか?」
「え、は、はい」
 初羽も、絢も小春のこの発言に驚いていた。
 本来、魔法が見える人は少ない。
 それは天性の才能が必要とされている。
 だがそれは少数であり、同時にそれは普通の人と違う世界に置かれることを意味している。
 …実際には、それほど大げさなことではなく、魔法が見えるからと言って命を狙われたり、魔法学校に入れられるというわけでもない。
 だけど『魔法が見える』という理由で、魔法の世界に身を置く人物も居る。
 ――香坂初羽や桐生絢のように。
 ―もしかしたら伊吹小春も。
「なんで小春が見ることができるのか分かんないけど…先に封印しとくよ」
「う、うん」「はい…?」
 絢は魔力の塊に一歩近付く。そしてスカートのポケットに手を入れ、丸いガラス玉を取り出す。
 魔法使いがよく用いるダイヤモンドやルビーのような宝石の類ではない。その辺の店で売っているなんのへんてつもないただのビー玉だ。本当なら水晶が一番相性が良いのだが、主に値段の関係でガラスのビー玉を使用している。
 絢がビー玉を魔力の塊に向けると、それはまるで吸い寄せられるようにビー玉に取り込まれていった。
 路地裏は元の景色を取り戻していた。
 そして絢のビー玉は、わずかに濁った色をしていた。
 絢はそのビー玉を再びポケットの中に戻す。
 彼女の、絢の魔術師としての仕事はそれで終わり。
 その光景を、小春は理解できずに見ていた。
「え、えっと……」
「…帰りましょ、説明するわ」
 小春が魔法を見ることができるなら、絢としても魔法の存在を隠しておく必要はない。
 絢と小春、初羽は魔法について説明するために一度、帰路に着くのだった。



 寮に帰り絢は小春に、絢自身と初羽のことを説明し始めた。
「小春は、魔法使いって居ると思う?」
「魔法使いって、最後には魔女さんになってしまうあの魔法使いですか?」
「いえ、魔女になったりはしませんけど…」
「というか、なんでそんな知識はあんのよ」
「夜中にテレビをつけたら偶然やってて…」
「トラウマにならなかったですか?」
「…少し」
 小春もアニメとか見るんだろうか、と絢は少し気になったが、今は話が脱線している。
「話を戻すけど、魔法使いって実在すると思う?」
「えっと…」
 普通に考えたら『居ない』と答えるだろうが、小春はなぜかそんな気持ちにならなかった。
 どちらかといえば『居る』ことの方が自然だと思っていた。
 もちろん、小春には魔法使いが居るなんていう確証はない。が、その存在を疑う気にはならなかった。
 それに、絢の言い方はいかにも『居る』かのような話し方だ。
「い、居てもおかしくはないんでしょうか?」
「いや、おかしいから」
「はうっ?!」
 自分から訊いておきながら、おかしいと一蹴されて小春は少し傷付いていた。
「ちょ、ちょっとあや…」
「でも、」
 たしなめようとする初羽を遮り、絢は続ける。
「小春が言う通り。魔法使いは『居る』わ。私がその証拠よ」
「ほっ…」
 その言葉に小春は安堵感を持っていた。
 そして商店街のことを思い返す。
 あれは、『普通』じゃない。
「正確に言えば私は『魔術師』になるんだけど、まあその辺は省略するわ。説明しても仕方ないことだし」
「はぁ…」
 小春は分かったような、分からないような返事をする。
 いや、おそらく小春は分かっていないだろう。
 そんな小春に説明するように絢は続ける。
「ま、世の中でよく知られている魔法使いと実際にはそんな変わらないわ。魔法でいろんなことができたりね。ただ、どんな魔法でも無作為に使えるってわけじゃない。本人の資質にあった魔法しか基本使えないわ」
「要は小春が考えているような魔法使いでイメージはあってるってことですか?」
「そういうことになりますね」
 初羽が小春に同意する。
 実際、世間一般に浸透している魔法のイメージは間違っていない。いや、それどころか同じであると考えてもいいだろう。
「じゃあ、初羽さんも魔法使いさんなんですか?」
「いえ、私はただの『能力者』です」
「はい?」
 魔法使いのイメージは掴めても、能力者と言われただけではよく分からない。
「うーん…ちょっと説明しにくいんですけど…。『魔法使い』は魔術という学問で成り立っている論理的な存在なんです。けど『能力者』というのは、ある能力を感覚的に掴んで扱えるようになった少し非常識とでもいう存在なんです」
「え、えっと……?」
 初羽の説明はある意味教科書通りの教え方だったが、小春には何を言っているのかまったく理解できていなかった。
「ゲームで言うなら魔法使いが使えるのは汎用魔法、能力者が使えるのは固有魔法ってとこ」
「あ、あー、なるほどです」
 もちろん、厳密には違うのだが認識としてはそう思ってくれればいいだろう。
「ま、論より証拠ね。なにか魔法でやってみせてあげる。なにかリクエストはある?」
「え、でも、さっき魔法は資質にあったものしか使えないって…」
「小規模の魔法なら平気よ」
 小春はリクエストを考えて、最初に思い描いたのは浮くことだった。
「じゃあ、空を飛んでみたりとかできますか?」
「それは…ちょっと無理ね。私、ああいう魔法と相性よくないみたいだから」
「そ、そうですか…」
「本当は出来るけどしないだけですよ。絢に言わせるとあれって凄く疲れるらしいです」
「初、余計なことは言わない」
「あはは…じゃ、じゃあなにか出したりとか…」
「そうね、それくらいなら…」
 絢はスカートに手を入れると、ビー玉を取り出した。
 ただし、今度のビー玉は赤い色をしていた。
 絢はそのビー玉を自分の手のひらに置いた。
「じゃ、いくわよ」
 小春がそのビー玉を見つめていると、突然炎に包まれた。
「わぁ!」
 ビー玉はしばらく燃え続けていたが、やがて火が消えた。残ったビー玉は元の赤い色ではなく、透明な色をしていた。
「これが私の魔法ね。ビー玉に魔力を込めて放出するという感じ。じゃあ次は初ね」
「はーい。クロー」
 初羽が呼びかけると、開けた窓からクロが入って来た。ちなみに、寮の窓はクロのためにいつも開いている。
「わ、猫さんです!」
「クロが見えるってことは小春にも魔力の素質はあるみたいね」
「え、そうなんですか?」
「クロはただの猫じゃないから普通の人には見えないの。試しに教室に連れて行って授業を受けてみなさい。誰にも咎められないから」
「じゃ、いくよクロ。 コンファイン!」
 初羽が叫ぶと、初羽とクロの身体が光に包まれた。次の瞬間には、クロの姿はどこにもなかった。
「あ、あれ? クロさんはどこにいってしまったんですか?」
「クロは初と一緒よ」
 絢が説明する。
「初の能力はコンファイン(憑依の能力)。クロと一体化して主に身体能力を高めるの」
「えと…こんなこともできます」
 そう言った初羽の身体から、ネコミミとしっぽが生えてくる。
「わ、これ本物なんですか?!」
「きゃあ! あ、あまり触らないでください。くすぐったいです!」
「クロと一体化してるからしっぽの感触とかも直接伝わるらしいのよ。けっこう気持ちいいのに」
 初羽はネコミミとしっぽをしまい、コンファインを解除する。再び光に包まれたかと思うと、クロが初羽から分離していた。
「どう? これが魔法」
 小春は、ただ凄いとだけ感じていた。
 まるで物語の中に迷い込んでしまったかのようだった。
「信じてもらえた?」
「も、もちろんです」
 ここまで見せられて、疑うなんて思うわけもない。
「じゃあ、魔法を信じてもらえたところでなにか訊きたいことはある?」
 そう訊かれて、小春は商店街でのことを思い返していた。
 あの黒い塊のこと。絢がそれを封印すると言ったこと。
 それを訊く必要があると思った。
「あの…、商店街でのあれは……」
 絢は、それを聴いてやっぱりと思った。
 だけど、それを説明するのは難しい。
「それは明日教えるわ。実物を見た方が早いでしょ」
「えっと…実物?」
 小春はよく分からなかったが、絢はそれ以上訊いても答えてはくれなかった。
 結局、魔法の話題はそれっきりとなってしまった。



~Interlude 皐月メイ~
 ガタン、ゴトン。
 ほどよい振動が心地よい眠気を誘う。
 時刻は夜中の一時。
 辺りは暗闇に包まれ、ほとんど何も見えない。
 車内から漏れ出すわずかな明かりが外の風景を映している。
 しかし、そんな景色に何の意味もない。
「…退屈」
 なにか退屈を紛らわすものはないのか?
 ……あるわけないか。
 水那市まで、まだ数時間かかったはず。
 せめてこれが初めての事ならばここまで退屈しなかったのかもしれない。
 …ほんとうに、意味が分からない。
 なんで、こんなことをしなければいけないんだろう。
 メールには組織からの連絡。
 …普段なら、絶対に組織のために動いたりなんかしない。
 だけど…
 目を閉じる。
 わたしには、するべきことがある
 わたしには、やりたいことがある
 わたしには、成し遂げたいことがある
 ぜったいに 諦められないことがある

 ――わたしには
            がある ――

~End Interlude~



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