二月十七日金曜日
~Interlude 香坂初羽~
夢を見ている。
私と彼が、二人で商店街を歩いている夢。
二人手を繋いで街を歩いて
店に入って楽しんで
それはとても楽しくて
夢だと分からないくらい現実で
…だけど、これは夢だから
いつか消えてしまうものだと、今は気付くことができない。
「ねえ、初」
「はい?」
彼が話しかけてきてくれる。
いつものように、普通の態度で。
「最近、新しい友達が出来たんだって?」
彼と話す内容はいつも私の話。
「はい。小春さんって言うんですけど、とてもいい人なんです」
私も彼に自分の周りの出来事を話す。
「学校は楽しい?」
「思っていたより楽しくないです」
「あはは…」
他愛のない会話
それがとても楽しくて
この夢がいつまでも続けばいいのに
心から、そう想う
どうかこの夢が覚めないで下さい。
「…あのね、初」
「なんですか?」
「初に、きっともう一人友達ができるよ」
「え? そうなんですか?」
「うん、きっとね。最初はちょっと戸惑うかもしれないけど、それでもきっといい友達になれるよ」
「む…」
ちょっとした嫉妬心。
彼にそんな気がないのは分かるけど、ちょっと複雑。
「誰ですか? その人は」
「うん。あの子はね…」
―― そして 夢は覚める ――
~End Interlude~
朝の日差しが降り注ぐ。
絢と小春がまだ寝ている早朝、初羽は一人起きていた。
だけど起きて朝食の準備をするわけでもなく、ただ起きたままの姿勢でいた。
思い返していたのは夢の出来事。
久しぶりに見た彼の夢。
幸せな夢と、もう叶うことのない現実。
それは嬉しさと寂しさになって初羽の心を乱す。
(そういえば、あんな風に街中を二人で歩いたことってあんまりなかったですね…)
本来なら、今に続いていたはずの夢。
そこまで想って――初羽は考えるのをやめた。
「…さ、朝ごはんの支度をしないと」
これ以上考えたらきっと泣いてしまうから。
在ったはずの未来に鍵を掛け、初羽はいつもの日常へと戻る。
幸せと感じられる、いつもの日常へ……。
放課後の廊下。
初羽と絢は帰りのHR(ホームルーム)の後、そのまますぐに教室を出ていた。
理由は、昨日の小春の件…ではなく、今朝届いた一通のメールだ。
メールには、今日の午後五時に駅前で会いたいという趣旨の内容が記載されていた。
「小春には悪いことしたわね…」
絢が呟く。
メールが届いたのは寮を出た後だったので小春にはまだ伝えていないが、昨日の様子を見る限り、きっとがっかりさせてしまうだろう。
「いいんですか? 小春さんを巻き込んで」
初羽が絢に言う。
「いいわ。小春も素質があるみたいだしなにより自分で望んだことだわ」
絢の言葉を聴いて、初羽は詭弁だと思っていた。
魔術師を自称する割に、絢は甘いところがある。
だけどそれが絢の良い所でもあるので強く非難も出来ない。
そして、少なくとも初羽も絢のそんな性格を嫌っていない。
二人の足は昇降口に差し掛かる。
HRが終わってすぐだったのでまだ誰もいないと思っていた昇降口では二人の人間が言い争っていた。
「こんなところで喧嘩ですか…?」
初羽が少し迷惑そうな、咎めるような感じで呟く。
言い争っていたのは背の高い男子と短い髪をした女子だった。
喧嘩するならもっと人目につかないところでやってほしいと思う。
このままでは外に出られないのは明らかだった。
絢はその内の一人、女子の方を見ていた。
「いいか? お前に用ってのはなあ――、」
「あ」
そのとき絢が声を発した。
同時に、言い争っていた二人もこっちに気付き振り向いた。
初には二人に心当たりはない。
しかし、絢はその二人の内の一人、女子の方に心当たりがあった。
「なんだ、お前の知り合いか?」
男子が小声で女子に尋ねる。
しかし、常人よりも身体能力の高い絢には男子の声が聴こえていた。
「違うわよ。あんたが誑かした女じゃないの?」
「お前の目に映る俺はとことん危ない野郎だな……」
女子の方は絢のことを覚えていないらしい。
だが、絢はあの狂気の目をした女子を忘れてなんかいなかった。
「あんた、この間の…………。同じ学校だったの?」
独り言を言うかのように、絢は口を開く。
それは、相手に訊ねるのではなく、確認するためのものであった。
「おい、やっぱりお前の知り合いじゃないか」
「だから知らないわよ。誰よアンタ」
女子はあくまでも絢のことを知らないと言う。
今まで黙っていた初羽にも、だんだんと話の内容は理解できてきていた。
絢は女子のことを知っている。しかし、女子の方は絢のことを知らないのか、あるいは忘れているのだということを。
なら、絢に訊いてみるほうがいいだろう。
「知り合いなんですか、絢?」
「前に脅迫された関係よ」
初羽の問いに、絢は多少(かなり)の皮肉を混ぜて言う。
「……お前、そんなことしてやがったのか。本当にライオンのほうがまだ安全じゃねえか」
「あんた、ぶっ殺されたいの?」
男子の方は女子をからかっている感じもするが、女子の方は不機嫌一色だ。
初羽は、絢の言う脅迫がおそらく事実だということを察した。
男子は顔を背けると、女子は絢の方を向いた。
「脅迫ねー……、もしかしていつか廃ビルで会ったやつ? あんたもあの化け物を追ってるの?」
「え?」
女子の言葉に、化け物、という単語が出てきた。
それは普通の人間ならまず出てこない言葉だ。
とはいえ、それだけじゃ何を指しているのかは分からない。
「は? 化け物ってなによ?」
だから、絢のその言葉は自然なものだ。
化け物と言っても、その言葉は広義の意味で使えば妖怪、魔物、怪物といった意味合いも含む。
昨日、初羽たちが路地裏で見つけたアレは魔、あるいは霊に分類される。
物事を言い表す言葉が一つでない以上、それが何を指しているのかを正確に理解することは難しい。
なら、この場合、女子が言っている化け物はなにを指すのか。
初羽は、自分たちの安全のためにも、その化け物については知っておいた方がいいだろうと考えた。
しかし、化け物がなんであるかを知っている女子は初羽たちが何も知らないと判断したのだろう。ある種の苦々しい顔をする。
「違うならいいわ。ばいばーい」
しっしと追い払うように女子は手を振る。
「ちょっと待ちなさいよ! あんた、何を追ってんのよ。もしかしてかなりヤバイ事件にでも関わってんじゃないの?」
だがそれは絢には見過ごすことのできないものだった。
初羽も、内心絢がそうするだろうと思っていた。
絢は自分とは違い、お節介焼きだから。
また、それとは別に初羽は絢の言った『かなりヤバイ事件』というのを聴いて、考えたついた推理があった。
絢と女子が出会ったのは廃ビルらしい。だが、初羽は女子と会った記憶がない。だから、いつ二人が会ったのか分からない。
だけど、そこに『事件』と『化け物』を組み合わせればなんとなく全容が掴めてくる。
前に一度、初羽と絢は廃ビルで異形の気配を感じている。
それが、女子の言う『化け物』だと言うのなら、絢と女子が出会ったのはここ二ヶ月以内のことだろう。
そして、おそらく女子は今でも『化け物』を追っている。
だが、どうしてそこまで『化け物』に執着しているのだろうか。
ずっと不機嫌な様子で、脅迫をしてまで情報を求めて、なにが女子をそこまでさせているのか。
…いや、初羽にはその感情がなんなのか理解できていた。すなわち
(復讐…)
周りを顧みない態度、どんな手を使ってでも目的を成し遂げる意志。
確証はまだないが、もしそうだとすれば、事件を追う目的については訊かない方がいいだろう。それは、女子の態度をより硬いものにさせてしまうだろうから。
だけど、化け物についてはもう少し情報が得たかった。初羽たちはその化け物について何一つ知らないのだから。
(もう少し、静観していた方がよさそうです)
初羽はしばらくは聴衆に徹することに決めた。
だが、言葉を発したのは違う人物であった。
「こいつが追ってるのはな、巨大な黒い馬の化け物だ!」
しばらくの静寂。初羽も絢も呆気に取られていた。
しかし、その言葉はマズイものだったらしく言葉を発した男子は女子を見て怯えているようだった。
「あんた……何言ってくれてんのよ?」
空気が凍る。
女子の怒りが、初羽や絢にも伝わっていた。
「ま、待て! 待ってくれ! こいつらも訳ありみたいだろ! だから、もしそういう見るからに化け物を知っていたら教えてくれるんじゃないかと思ってさ! もちろんアレだ、俺があの化け物を知るためにな!」
男子は一生懸命言い訳をしていたが、女子の怒りが収まる様子はない。
「だってお前は俺に何も教える気はなかっただろ? なら俺が化物のことを誰に訊いてもいいじゃねえか! それにだ、お前のことは何も言ってないだろ? お前の言ったことには反してない! どうせ俺は後でこいつらに化物のことを訊きに行こうと思ってたんだから結局同じ事さ!」
説明が終わると、やがて女子は重いため息をつき、
「あー、ぶっ殺したい」
とても物騒なことをのたまって一歩下がった。
「いいわよ、訊きなさいよ。たしかにコソコソと後で嗅ぎ回られてそいつらと一緒にあたしの邪魔されても困る。だからあたしの前で堂々と聞き込みしてくれれば安心だわね」
やさぐれた顔だが、一応怒りは抑えてくれたようだった。
「どうせ知らないと思うけどね」
最後に吐き捨てるように言って、女子は黙った。
初羽は、ようやく喋ってもいいと感じ、訊いてみた。
「あのー……馬の化け物って、首切れ馬とかそういうのですか?」
首切れ馬というのは日本の昔話に出てくる妖怪だ。
詳しいことは割愛するが、日本の馬の妖怪では有名な部類になる。
しかし、男子は首を振った。
「…………いや、そういうのじゃないんだけど。一目見たら化け物ってわかるかな。体は普通の馬よりでかいし、しかも人にいきなり襲い掛かってるし」
「妖怪の類じゃなくって、そのままの意味の化け物ってことね」
「あ、そういうことですか」
絢の補足もあり、初羽はすぐに理解する。
つまり、今回の化け物は馬の姿をしているが、特になんらかの伝承の生き物ではないということなんだろう。
基本的に、化け物を作る際には、元のモデルが有名で強いほどその性質が生かされ、化け物自体も強くなる。強い魔物使いが伝承上の生き物を使役するのはそれが理由ともされている。
馬の化け物はユニコーンやペガサスと言った白い馬の方が魔術的には強いとされる。しかし、人の言う事をよく聴くが、基本的には争いそのものを嫌う生き物である。
そういう意味で、初羽の言った首切れ馬は災厄に分類される珍しいものともいえる。
だが、ただの馬を模った化け物は使い手にもよるが、個体としてはたいして強くない。しかし、それでも一般人からすれば脅威である。それに、男子は人に襲いかかってくると言ったのだ。
「というか、なに? その化け物。聴く限りじゃ危険極まりないじゃない。なんでそんなもの追ってんのよ?」
「えっと……」
もっともな絢の疑問に、男子は言い淀みつつ女子を見やる。
「…………」
女子はさっきよりも強い視線を男子に向けていた。まるで、男子を敵視までしているかのような。
さすがに初羽もこれは止めるべきだと思った。絢はまだ気付いていないようだが、もし女子の目的が復讐だとすれば、それについて訊かれるのは心底気分を害するものになってしまう。
「あ、絢」
「なに? 初」
初羽が絢に小声で話しかける。
(あの、あまり彼女が事件を追う目的については訊かないであげてください)
絢は初羽のその言葉に驚いていたが、同時に初羽が何か悟ったということにも気付いた。
(なにか気付いたの?)
(たぶん、彼女が事件を追う目的は復讐です)
その言葉を訊いて、絢も分かった。
初羽がどうしてその結論に至ったかは絢には分からないが、復讐の理由をしつこく問いただされるのは確かにいい気がしないだろう。
(なら、もうこの場は解散した方がよさそうね)
絢が初羽にそう提案する。これ以上は、女子の気を悪くするだけだから。
「――イッテ!」
突然の声に、初羽と絢が驚く。
振り返ると、女子が足で男子を蹴ったようだ。
「…………なんでいきなり俺が蹴られるんだよ?」
だが、女子は質問には答えず憮然とした顔のまま言った。
「行くわよ」
「……………………え?」
「一緒に帰るっつってんの。行くわよ先輩。今すぐ上履き履き替えて来い」
「え、まだ話の途中じゃ? ていうか俺も一緒に行っていいのか?」
「いいから言ってんのよ。はいダッシュ。校門前で待ち合わせね」
言いつつ女子はさっさと下駄箱に歩いていき、男子も急いで二年の昇降口に走っていった。
そして、初羽と絢だけが取り残される。
「聴こえてたのかな…」
「聴こえちゃってたんでしょうね…」
二人はしばらくその場に立っていたが、やがて昇降口が人で埋まる前に学校を出て行った。
遥と別れた後、初羽と絢は寮の自室に戻ってきていた。
帰ってきた初羽と絢を小春が出迎えてくれたが、絢は帰って早々にどこかに電話をかけていた。
『なにかあったんですか?』
小春が初羽にこっそりと訊いた。
『ちょっといろいろありまして…』
初羽は小春にそう言って、お茶の用意をしつつ口を濁した。初羽の独断であまり喋るわけにもいかないと思ったからだ。
小春も、聴いてはいけない内容だと思ったのか、特に追求することなくお茶を飲んでいた。
その後、しばらくして絢の電話は終わった。喉が渇いていたのか、電話が終わるや否や初羽の淹れたお茶を二杯飲んだ。
「なにか分かりましたか?」
お茶を飲み終えてから、初羽が絢に問いかける。
「あんまり。調査は依頼しておいたから結果待ちね」
絢はそう言って、今度は小春に向き直る。
「さて…」
絢が小春に話しかける。
「ごめん、小春。今日はこれから用事があるから昨日の話の続きはまた今度でいい?」
「あ、は、はい…」
小春にとっては、昨日の魔法についての話の続きを聴けると思ったが、おもわぬお預けを喰らってしまい、少しがっかりしていた。
しかし、絢の携帯にメールが入ったのは今朝のことなので仕方ないことである。絢はそれを言い訳にはしないが。
「絢、私が説明しておきましょうか?」
初羽が絢に言う。
小春のがっかりした態度から察しての行動だろう。
「あー、悪いけど初にも付き合ってほしい用事なのよ」
「そうなんですか?」
初羽と絢はいつも一緒に居るような仲の良さであるが、実際には絢の魔術師としての都合で、ずっと一緒に居るわけではない。
初羽は魔術師でもないため絢の用事に付き合うことはなく、たいていそういう場合は初羽は一人で街を出歩いている。
だというのに今日に限って初羽も呼ばれるという理由に初羽は心当たりがなかった。
もっとも、小春はそういう二人の事情は知らないので話は聴こえているもののどういうことになっているのかさっぱり分かっていなかった。
「えっと…?」
小春がどうすればいいのか困った顔になる。
普通に考えたら、一般人と変わらない小春を付いて来させるわけにはいかない。初羽もそう考えていた。
「ん~……小春も一緒に来る?」
だが、絢は予想外の言葉を言った。
「い、いいんですか?」
小春が信じられないように尋ねる。
しかし、絢はもともと小春も連れていくつもりだった。理由の一つに、記憶喪失とはいえ、魔法を知っているようだし魔法に触れておくのは無駄にはならないと考えていたからである。
「別に初と二人で来いとは書かれてなかったし構わないわよ」
「じゃ、じゃあ、お二人についていくことにします」
メールの相手には三人で会うことになった。
数十分後、三人は駅前に居た。
絢が言うには、ここが待ち合わせの場所だということらしい。
「そういえばどんな人と待ち合わせしてるんですか?」
初羽が絢に訊く。
「さぁ? 私がその人と待ち合わせたわけじゃないから詳しいことは知らないわ」
「え? どういうことですか?」
小春も絢に訊く。
「向こうからコンタクトを取ってきたのよ。なんか私に訊きたいことがあるんだってさ」
「なんでしょう? 少し気になりますね」
「ま、十中八九魔法関連の話だと思うわよ。それよりそろそろ時間なんだけど…」
「もしかしてあの人じゃないですか?」
小春が指す方向に、初羽たちに向かってホームから歩いてくる同い年くらいの女の子が居た。
初羽と同じくらいの身長に、ふわふわとした髪が目立つ女の子。人形みたいな可愛らしさという外見に反して強い目をした少女である。
彼女は他のものに目もくれず初羽たちに向かって迷いもせず歩いてくる。
「…ひゃぁっ!」
「あ、こけた」
が、彼女は何事もなかったかのように初羽たちの方に来た。
「…どうも、……初めまして」
「だいじょうぶですか?」
「…なにがですか?」
「いま、そこで転びましたよね?」
「転んでません」
「え? でも…」
「転んでません」
どうも彼女の中ではさっきの出来事はなかったことにされているらしい。
「…~~」
…痛そうに顔をしかめてはいるが。
「私は桐生絢。私と話がしたいっていうのはあんた?」
「…はい。…私、皐月メイ、です」
「あ、ど、どうも初めまして。伊吹小春です。よろしくお願いします」
自己紹介をするメイを見て、初羽は今朝の夢を思い出していた。
『初に、きっともう一人友達ができるよ』
『え? そうなんですか?』
『うん、きっとね。最初はちょっと戸惑うかもしれないけど、それでもきっといい友達になれるよ』
(信哉が言っていたのはこの人でしょうか?)
今は夢の中でしか会えない彼。
彼は最初戸惑うかもしれないと言っていたけど…。
「…聴いてますか?」
「は、はい?」
「どうしたのよ初?」
「あ、いえ、なんでもないですよ? 初めまして、私は香坂初羽です。よろしくお願いしますねメイさん」
「…はい。よろしく」
メイが手を差し出す。
初羽も手を差し出し、握手をしようとして――絢に止められた。
「あ、絢?」
「教えてくれない? どうして私と話したいと考えたの? あなた、どういうつもりでコンタクトを取ってきたの?」
絢は問い詰めるようにメイに訊ねる。
「…警戒しまくりですね」
メイはそういうが絢の態度も当然のものだと言える。
名前も知らないような相手が突然訪ねて来たら警戒するのは普通のことだ。
「で、どうなのよ?」
「………」
「言えないの?」
「ちょ、ちょっと絢…」
「…この人は?」
メイが小春を指さす。
「は、はい?!」
「小春さんでしたら関係者ですから大丈夫ですよ」
「…そう?」
メイは小首を傾げながらも納得したらしい。
「…簡単に言えば私は後釜です。この街で殺された魔法使いの」
「私は聴いてないけど?」
絢は疑うように言う。
「…急に決まりましたから」
「それにしたってどうして今更? あの事件から、もう二ヶ月は経っているのよ?」
二ヶ月経った今更。それが絢がメイを疑う理由だった。
「…所詮お役所仕事ですから」
要するにメイにも心当たりはないということだった。
こう言われては絢もそれについて追求するわけにもいかない。
「なら、一応証明できそうなものを見せてくれないかしら?」
「…どうぞ」
メイは絢に名刺を渡した。
名刺にはメイの名前と生年月日、顔写真、所属組織名が書いてあった。文字だけ書かれている実にシンプルな名刺である。
絢は名刺に一通り目を通す。
「なるほど、本当の話みたいね」
名刺を見て、絢はそう言った。
本人確認の免許証とは違い、法的な意味での信頼性はないが、まず信用しても大丈夫だろうと絢は判断した。もちろん、後で確認はするが。
「………」
メイは絢が100%の信頼をしたわけではないと感じていたようだったが、特に何も言わなかった。
実際、二ヶ月遅れの後釜なんてメイでも疑うだろうから。
「いいわ。ひとまず信用することにする。よろしくね、メイ」
絢が手を差し出す。
「…よろしくお願いします」
メイもその意味を理解して、手を出し、握手を交わす。
初羽は二人のその様子を見て、内心喜んでいた。
『いい友達…ですか』
メイを見ていると、夢の内容通りになりそうな気がしてくる。
「私もよろしくお願いしますね」
「こ、小春もよろしくお願いします!」
四人の手が、重なる。
メイは、その感じを心地よいと感じていた。
「それで、魔法使いが殺された事件について調べてたんだったわね」
絢が話の口火を切った。
「…はい。なにか知っているんですか?」
メイが訊く。
だけど、いったいどこまで話していいのか。絢は迷っていた。
「立ち話もなんだしとりあえずどこか場所を移しましょ」
「わかりました」
「皐月さんはどこに住む予定なんですか?」
初羽がメイに訊く。
「…メイ、でいいです」
「え?」
「…呼び方」
その言葉で、初羽はメイが名前で呼んでほしいんだと理解した。
「わかりました。私のことも初って呼んでください、メイ」
「…はい。わかりました初」
メイも初羽を愛称で呼ぶ。
それは、今日初めて逢ったとは思えないほどすんなりと馴染んでいた。
「…それで、住むところでしたね。私も学生寮にお世話になる予定です」
「そうなんですか?」
「…もしよければ案内してくれると嬉しいです」
「わかりました。じゃあ寮まで一緒に行きましょう」
「…お願いします、初」
「じゃあ寮に戻りましょ。その途中で今までの出来事についてから話すわ」
立ち話も長くなり、夕闇になってきた風景の中を初羽やメイたちは寮へ向かって歩き出した。
それは傍からみたら普通の学生らしい光景だった。
寮に帰る道の途中。
絢は二ヶ月前に起きた事件のことと、今日の昇降口での出来事について簡単に説明した。細かいところは初羽がフォローした。そして説明を聴いたメイの感想は
「…物騒な人ですね」
一言、そう言った。
隣で話を聴いていた小春ですらそう思っていた。
「…なるほど、巨大な黒い馬の化け物ですか」
メイが話の内容を確認するように呟く。
「そうらしいです」
メイは二人の説明を聴いて、大筋でどういう事態になっているのか理解できたらしい。
そして、ちょうど説明が終わると同時に寮に着いた。
「ま、さっき話したのが今私たちが知っている内容よ」
「…ありがとうございます」
メイが絢に言う。何の情報も持たずに来たメイにとって、敵のことが知れたのは収穫だった。
「はい、ここがメイがこれから住むことになる女子寮です」
初羽がメイに説明する。
寮に帰ると前寮長が待っていた。
「おっかえり~、ってまた知らない子がいるね?」
前寮長がメイを見ながら言う。
「…初めまして」
メイが丁寧に両手を前に揃えて斜め45度でお辞儀をする。
それを見た前寮長はなぜかぷるぷると震え出し
「こやつ…やるな!」
その時、全員の頭の中に「なにが?」という疑問が浮かんでいた。
「反応が薄いわね…」
どう返したらいいのか分からず、とりあえず初羽はメイのことを紹介する。
「え、えーっと…今日から入寮予定の皐月メイさんです」
「…どうも」
メイは相変わらず素っ気ない態度で挨拶をする。
だが、前寮長は特に気にした様子でもなかった。
「ほいほい、皐月メイさんね。じゃあ寮則の書類といくつか書いてもらわないといけない書類があるから付いてきてもらえるかな? 荷物は特にないようだし今すぐでいい?」
「…はい。分かりました」
「初羽さんも一緒にね」
「え? 私もですか?」
「当り前でしょ? 新・寮・長・さん」
「あ…」
初羽も、絢も小春も忘れていたが、確かに小春が入寮する際の条件として初羽は新しい寮長を引き受けたのだった。
それが、あまりにも本気に取れなかったのと、昨日の事件のせいですっかり忘れていた。
「大丈夫よ。基本的には何の仕事もないし、今回は書類を書くだけで特に難しい仕事じゃないから」
「分かりました。よろしくお願いします」
「おっけ。じゃ、二人とも付いてきて」
前寮長は初羽とメイを連れて、どこかに行ってしまった。
寮の入り口には絢と小春だけが取り残される。
「私たちは部屋に戻ってましょうか」
「は、はい!」
絢は初羽たちの用事が短くないものだと考え、部屋に戻ることにした。
それから数十分後。
「ただいまです」「………」
201号室。つまり、初羽の部屋に四人が集まっていた。
「あ、お帰りなさい。お茶入ってますよ」
「ありがとうございます小春さん」
「…おいしい」
小春が淹れたお茶を初羽とメイが手に取る。
初羽と絢が二人で暮らしていた頃はそういうことは全て初羽の役割だったので初羽は少し違和感も抱いていた。
絢は携帯を片手にどこかに電話をしていた。
「あ、はい。そうですか。それじゃあ彼女を混ぜて行動しろということですね」
実は、小春はその間手持無沙汰になっていたので何かしようと考えた結果、お茶を淹れることだけが残っていたのだった。
「それで、メイさんの手続きは終わったんですか?」
「…(こくり)」
「はい。今日からメイもここの女子寮の一員です」
「どこの部屋なんですか?」
「…202」
「ここの隣の部屋なんですよ」
「そうなんですか?」
「…はい」
「ちょうど空き部屋になっていたんです」
「それじゃあ一人なんですか?」
「…(こくり)」
「はい、そうです」
「ん~……」
小春はなにか考えているようで、しばらく黙っていた。
初羽とメイはお茶を飲んで待っていた。(メイのお茶は二杯目である)
小春の考える時間はそう長くはなかった。
「あ、あの」
小春が口を開く。
「私、メイさんの部屋にお邪魔してもいいでしょうか?」
今は二人部屋に三人で泊まっている現状であるが、寮に備え付けのベッドは二つしかないので、一昨日は初羽が、昨日は絢が床で寝ていたのだった。
小春はそのことを心苦しく思っていたので、近い内に寮に正式に入寮するつもりでいた。というのも、小春はまだ正式な学生ではないので手続きが出来なかったからである。
しかし、メイが部屋を一人で使うのなら、正式に入寮するまでの間、メイの部屋にお邪魔した方が小春としても初羽たちに気を使わなくても済む。
もちろん、メイがよければの話ではあるが。
「…いいですよ」
メイとしては特に問題はないらしい。
「じゃ、じゃあ今日からよろしくお願いします」
小春がメイに言う。
「いつでも気軽に遊びに来てくださいね」
初羽も小春の気持ちは分かるので引き留めるようなことはせず、いつでも来ていいという言い方をした。
「はい、それじゃあ失礼します」
絢の電話もちょうど終わった。
「まったく…」
絢が携帯電話をしまう。
「メイ、あんたのこと組織に訊いてみたわ」
「……」
「疑って悪かったわ」
「…別に」
メイは本当に気にしていないように言う。
絢がメイを疑っていたのは知っていたから。
だけど、絢は謝った。
メイを疑っていたのは事実で、それをメイが気にしていないとしても絢自身が気にしてしまうから。
「それにしてもあんた、…じゃない。メイってどういう扱いなわけ?」
「えっと…どういうことですか?」
初羽が訊く。
「メイは正規の構成員じゃないってことよ」
絢が答える。
メイは相変わらず気にしてない態度だった。
「えっと…それってなにか問題があるんですか?」
小春は絢の言葉に疑問を持つ。
絢はこの事が、問題があるかどうかは分からなかったが、変なことだと思っていた。
メイが派遣されてきたという組織は、一応は大きな組織だ。よって、人員もそれなりに多い。ただ単に後釜というだけでいいのなら、その中から適当な人物を見繕えばいいだけだ。
しかし、どうやらメイは自分で志願してこの街に来たらしい。だが、駅前でのメイの言葉の限りなら、メイは仕事熱心な真面目な人間ではない。むしろ、事件に関しては無関係の体を装うつもりなのは明白だ。
なら、メイはなぜここに来たのか、という疑問が出てくる。
だけど、そこまでするほどの理由ならメイは決して教えてくれないだろう。
…そして、その秘密がある限り、絢はメイのことを100%信頼することは出来なかった。
でもそれを口に出すほど意地の悪い性格はしていない。
「ううん。なんでもない」
だから、言葉を濁す。
本当はまだ疑っているけど、そんなことを感じさせないように。
ただ、雰囲気だけは伝わっているのだろう。
さっきよりも空気が少し重い。
そんな空気の中、メイは一言言った。
「…私は敵じゃない。絶対に初を裏切ったりしない。それだけは約束する」
それは、今までメイが喋った中で一番長い言葉。
そして、今までの無関心ではない確かな感情がこもった言葉。
だけど、それは信じられるものであったが同時におかしなことだと言える。
今日逢ったばかりの人にどうしてそこまで真剣になれるのか。
今日会ったばかりの人間なのに、そこまで言い切れるのか。
――そして、なぜその言葉に違和感を感じないのか。
だから、初羽は訊ねていた。
「わたし…メイと逢ったことがあるんですか…?」
初対面のはずなのに、まるで親友のような感覚。
忘れているだけで、実は昔の友人だったのではないか。
だから、あんな夢を見たんじゃないのか。
「………」
しかし、メイは何かを言うでもなく立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。
肯定でも否定でもなく、結局真相は分からずじまいだった。
ただ、初羽の記憶には、やはり皐月メイと逢った記憶はなかった…。
結局、今日はそれ以後メイと話す機会はなかった。
そのため、事件についての話も自然に明日へ持ち越しとなった。
小春はしばらくして荷物をまとめてメイの部屋に引っ越し、今日の夕食は初羽と絢の二人で食べた。ちなみに小春はメイを連れ出して外食したらしい。
そして夜11時、初羽は寮を抜け出して街中に出ていった。
小春もメイも知らないが、絢は初羽の行き先を知っていたので止めることなく、一人先に寝ることにした。
~Interlude 香坂初羽~
深夜0時。
私は寮を抜け出て裏路地のとある店を訪れていた。
BAR『WHITE HEARTS』。
路地裏にある、客などほとんど来ないバーである。
現に今だって、客の一人もいなかった。
そんな中、私はカウンターに腰掛け、一人飲んでいる。
アルコールは入っていない。
そもそもここは飲み屋じゃない。
だけど、この静かな店の雰囲気が私は好きなのだ。
ここに居ると、何も考えずに居ることも出来る。
逆に、一人思考の海に彷徨うことも出来る。
今日の気分は…色々と考えたいことがあったので、何も考えずに一休みしたい気分。
足元ではクロがミルクを飲んでいる。
「オレンジを使ったやつ頂戴」
私はマスターにそう注文する。
ここではいつもみたいに敬語で話しかけることはしない。その方が店の雰囲気に合うと思っているから。
マスターはただ黙ってオレンジを取り出し、注文通りのドリンクを作ってくれる。
しばらく眺めているとドリンクが目の前に置かれる。
私はそれを手に取って飲む。
甘い香りに甘い味。
…ただのジュースとそう変わらない。
それでも、なんだか大人の香りがする。
それに、実はただのオレンジジュースというわけではなく隠し味が入っているのも評価出来る。
私がここに通うのには味が旨いというのも少なからずある。
旨いドリンクを片手に静かな場所で一人過ごす。
実のところを言うと、別にドリンクがなくてもいい。
ただ、私は静かな誰も居ない場所が良かったのだ。
それは、私がまだ病弱で病院に居た頃を思い出すから。
一番幸せだったあの時期を静かに思い出せるから。
永遠に思い出に浸れるような気がするから。
…まあ風景は全く似てないんだけど。
でも此処に居ると私は昔の私になれる。
優等生でみんなに好かれる大人の私じゃなく、我が儘で意地っ張りの子供のような私。
大人の空間にいるからこそ、子供の自分が自覚できる。
実際はそんな大層なものじゃないけど。
結局は居心地が悪ければ来ることはないのだから。
だからここは、私だけの楽園。
私はこの楽園で3時間の時を費やし、店を出た。
街は、まだ闇に染まっていた。
~End Interlude~
深夜のビルの屋上。店から出てきた少女を見つめている人物がいた。
「香坂初羽に皐月メイ。ボクの物語のキャストがようやく揃ったようだね。どうやら知らない間にボクの知らないシナリオが混在してしまっているようだけど、それを上手にコーディネイトするのがボクの腕の見せ所さ。観客を盛り上げるストーリーを作ってみせようじゃないか。アハ、アハハ、アハハハハハハッ!!」
それは、一人呟くと姿を消した。後には、昨日路地裏で初羽が見かけたのと同じ黒い魔力の残滓が残っていたがそれもやがて霧と消える。
水那市に更なる災厄が降り掛かろうとしていた……。
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